廃村 大内町坂島 (さかしま)
About 廃村 大内町坂島
秋田県由利本荘市小栗山にある集落跡地。1967年に全戸が離村し、その後一部が耕作のため通っていたが1991年に大内ダムの開発が始まった。現在は大半がダムの湖底にある。
スポット評価
終末度合い | 12 |
訪問難易度 | 16 |
観光地要素 | 13 |
化石的価値 | 10 |
総合評価 | 51 |
ワケあり盆地に歴史あり、不自然な緑は語り草への入口なのである。跡地を示す看板はないため、現地を知っていないと訪問する達成感はやや薄い。だからこそ悲しい。
廃村 大内町坂島のさじなげB級ポイント
すこし食べ過ぎてしまった。調子こくとすぐ暴飲暴食をしてしまう。愛と欲望に満ち溢れた活力はみちのく秋田の散策に注ぎ込むべきだというのに。全くこの町は誘惑が少なすぎる。
ドライブしてもハタハタひとつ買えやしないし実質行き止まりばかり。やはりチンコとかいうの減らす必要がありそうだ。てことで渋い観光地大内にやってきたわけだ。
道の駅おおうちから車で20分あまり、いときん食堂手前の新田集落から北に降り、川べりの白い橋を渡るのが今回の入口となる。
一応北の雄和萱ケ沢から訪問するルートもあるが、初見では途中から人間が住んでいる道かどうかの判断すら難しい。一筆書きで帰る異常者がいるならオススメしておこう。
橋を渡ると2軒ほどの畑野沢集落が見えるので、脇道に逸れたらすぐ電柱だけになる。
道中は狭い場所もあるがこの先を考えるとどうとでもない。ストビューもあるので予習して進めば大内ダムがほどなく見えてくるだろう。夢みたいなこの日に感謝。
その広場には意味がある
廃村 大内町坂島…の入口はダムに沈んでいる。建設前は未舗装の砂利道を2kmあまり登ってきたと考えると中々の苦労である。
最盛期は3戸で、貯水整備前までは耕作地として利用されていたという。
1980年代の地図を見ていただきたい。左下から侵入し、白い辺りに現在のダム管理事務所がある。
そこから更に奥へ入ったところに家屋がいくつか確認できる。実際に行ってみよう。
ここからはだいぶ狭さが増し、軽自動車以外では通ることができない。それでも途中から下草が生い茂ってきたため、歩いて向かうことにした。
何も聞こえない水の裏。これだから山奥のサルベージはやめられない。腹が減ってきた。
集落のメイン箇所と、それを撮った角度を示した図を比べてほしい。耕作されていたはずの跡地は面影を無くし、愛に傷ついたあの日から暮らしを続けていた。
それもそのはず、移転者が現在生きていた場合80代後半となる。定期的に管理に来るにはさすがに厳しい年齢となっているのだ。
ダム中ほどから見つめた集落の姿である。それを記した写真はもう、どこにもないのだろうか。
冬は子供がソリで荷物を運び、学校まで10km以上歩いた記録も残っていない。
茂みに覆われていて神社跡も見つけられなかった。大内町坂島は森の一部となっていた。