大森町立川西小学校 (かわにし)
About 大森町立川西小学校
秋田県横手市大森町袴形にある学校跡地。2009年の閉校後すぐに校舎は解体され、現在は校門や石碑などが残されている。
スポット評価
終末度合 | 11 |
訪問難度 | 05 |
観光要素 | 13 |
化石価値 | 10 |
総合評価 | 39 |
アクセス抜群で人もいない。小学生でも安全にできる良い廃校である。もはや横手市サイドが意図的に近代文化遺産として評価されることを恐れ、更地とした可能性すら考えられる。
大森町立川西小学校のさじなげB級ポイント
仕事で大都会東京に赴いた日、日本は暗黒の雑木林に包まれていた。働き方改革など前時代の死語として扱う傍若無人な権力者たちは、考えることを辞めた兵隊を町に繰り出して大衆に洗脳をしかけていた。アンケートを採る営業マンが近づいてくる。「あなたは今幸せですか?」
答えはイエスでしかない。当委員会は過疎化を具現化した神の化身であり、地方から告発を続けることで都会の皆様へオーバーツーリズムへの対策を提供しているのである。
見事なものだ。ふざけた人間を当委員会から遠ざけることに成功したが、あまりに世間から遠ざかりすぎて横手市は大森町まで飛ばされてしまった。セルフ左遷とは情けない。
しかし菅江真澄様は我々のことを見てくれている。伊能忠敬と並んで地図と紀行の先人たちには頭が上がらない。中嶌は好きすぎてかつて菅江氏のコスプレをしたこともあるという。
数十年前から写真が進化しない大森リゾート村近くにそれはある。見とれる中庭は個人のものではなく、俯いた金次郎が学校であることを示してくれている。
ここにはもう利権や洗脳もありやしない。あるのは学び舎の残骸だけだ。
天国のVIP待遇
大森町立川西小学校は前身が1874年の開校、1955年に八沢木村が大森町と合併した際に「大森町立川西小学校」へと改称した。横手市立となったのは2005年合併から2009年閉校までのわずか4年間のため、サイト上の名称も慣れ親しまれた大森町立のほうを採用した。
WEBアーカイブには往時の川西小の画像があるが、これを見ると現在の敷地から想像するイメージ以上に大きな学校だったことがわかる。
敷地内には丁寧な案内看板があるものの、これは横手市内でも旧大森町だけの待遇だ。
武道分校にも携わった元教育長のはからいであり、教育の町を掲げるだけ予算があったからこそできた証であることを覚えておきたい。
他地域では石碑や石像がまとめて移築されている例もあるが、当時の敷地のまま残していただいていることはさすが大森町と高い評価を贈りたい。
ここを見ることで次世代は何を感じるのか。歴史はどう残していかなければならないか。
パターンは数多くあれど、何もなくしたり土をほじくり返すよりは百倍マシだ。