廃村 鹿角市大清水 ~消え果てる辺境の地~

廃村 鹿角市大清水 (おおしみず)

About 廃村 鹿角市大清水

秋田県鹿角市十和田大湯字大清水にある集落跡地。1918年時点では50戸が生活していたとされるが、2009年に個別移転で無人となった。青森県境の際に位置し、周囲から大きく離れている。

スポット評価

終末度合い22
訪問難易度22
観光地要素20
化石的価値21
総合評価85

唯一無二の佇まいから高得点をたたき出した。青森県田子町へ繋がる国道104号沿いでありながら、シビれを切らした日常に電撃を与えるフレキシブル熊さん集会所である。

廃村 鹿角市大清水のさじなげB級ポイント

県北の魔境鹿角市は留まるところを知らない。湯瀬~兄畑間のモンスターハウスに始まり、鉱山集落の面影まで活躍は多岐にわたっている。しかし手札が多すぎるが故、地域の若者や力ある人間もマイナス要素までは手を伸ばせずにいる。

十和田湖手前中滝集落から10kmあまり、人間の営みを感じられない森の中を駆け抜けていく。途中戦後開拓の酪農地帯である県道128号線に入ることもできるが、こちらは奥が深すぎるのでまた今度にしておきたい。インスタに動画を先行公開しているのでチェックしておくべし。

鹿角市大清水 入口

20分近くひたすら無人の森を登りつづけると、県境近くで少しだけ大地が十戒を開き出す。

ここは標高460mの高地で、わずかに入る青森放送の電波が辺境を感じさせてくれる。

鹿角市大清水 青森側から

しかし降りたとうとも、有機物の息吹はてんで感じられない。

これほどまでに開けながらも、ハッキリと集落跡地であることがわかるのは珍しい。

紅山桜に落ちる夢
廃屋

廃村鹿角市大清水は秋田県最奥の集落跡地のひとつで、1918年に小坂鉱山煙害被害の農民救済地として開拓された湿地帯である。(入植時50戸)

1934年には立派な大湯小学校大清水分校が開校(1950年には中学校分校も併設)されたが、1973年にいずれも閉校している。電話は分校にただひとつだったという。

大湯小学校大清水分校 跡地付近

これが校舎跡地付近に残る建物である。「消えた分校の記録」に映るすでに廃墟めいた建物(跡地に建てられた地区会館)は残っておらず、校舎この建物(104号大湯側通行で左に見える最初の廃屋)の隣にあったとされる。

ちなみに2018年のストリートビューでは、この建物は2階建てとなっている。近づくとわかるが、ここ数年の大雪で倒壊したのだろう。破片と思い出で溢れかえっていた。

大清水 記念碑

学校跡地らしき場所には、湿地開拓に力を注いだ諏訪富多(元大湯町長)を称える記念碑が残されていた。比較的綺麗な状態だった。

そこにはこう記されている。(一部現代向けに改編)

当時雑草や悪路を伴う湿原での作業は足を奪い、その難事業はいかに大変だったことだろう。
諏訪先生は開拓者と衣食住と共にし、時に行政への陳情を重ねて悲願の開拓を実現させた。
また、幹線道路の改修にも東奔西走し、忽然とこの山間に104号線を敷設された。
これはひとえに先生の深き哲学的思索に根差した郷土愛と、地域振興の情熱によって開かれたものである。その恩恵を称え、後世に伝えていくことを願う。

1973年10月10日 諏訪富多先生彰碑設立委員会
記録のカケラたち
鹿角市大清水 地区会館?

短角牛飼育や鱒の養殖に尽力したというが、現代でも痛烈に感じる地理的条件の悪さは周辺の廃村と比べても群を抜いている。

閉校以降離村が相次ぎ、2009年に最後の一戸が離れ廃村になったという。むしろ平成後期まで生活が続いていたことにこの地で暮らす情熱が追いかけてくる。

大清水 荒地

そんな過酷を極めた入植の苦労を、現代人は感じることができない。

大清水はこのまま森に戻ってしまうのだろうか。

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