東由利町立高瀬小学校高村分校 (たかむら)
About 東由利町立高瀬小学校高村分校
秋田県由利本荘市東由利老方高村にある学校跡地。2代目の校舎(1969年築)の校舎が現在もそのまま残り、便宜上は地区会館として機能している。
スポット評価
終末度合い | 20 |
訪問難易度 | 15 |
観光地要素 | 16 |
化石的価値 | 19 |
総合評価 | 70 |
数少ない現存する木造校舎のひとつである。沼分校と並び、この町はスクラップ&ビルドの恩恵を一切受けていない。それこそが一番の魅力と言えよう。
東由利町立高瀬小学校高村分校のさじなげB級ポイント
委員一同大好物の東由利兄貴である。話題に事欠かない激烈珍ゾーンであるが、相変わらず一般市民にはその魅力が一切伝わっていない。道の駅は雨漏りし、町唯一のローソンはロクな噂がない。
かつては鉄道がさんざめく希望の園だったはず。やはりアクセスの難だけがこの町に暗がりを落としているのである。
その証拠として、平日の真っ昼間から東由利おもしろ館にてサラリーマンがおシコり系サボリ式をかましていた。金玉キラキラすい曜日やめろや
彼を尻目に、我々は冷静にカーナビのDVDにてチャプター4「13/51」を止め、現地へと向かった。
大幅に端折り、高村集落に着いた。法内の八-2本杉と小倉グリーンロードを過ぎ去り、小川を眺めながら数キロ登りゃんと到着できる場所だ。
つまりザッコ又集落とのセット商品である。B級ハッピーセットとは粋なサプライズだ。
廃校に次ぐ廃校
東由利町立高瀬小学校高村分校は1902年頃の開校、1978年の休校に至るまで山間の小集落を支える大黒柱だった(正式な閉校はなんと1989年)。最盛期は20数名の児童が通っていたという(1960年代)。
周辺は人口減少が激しく、近隣の2集落(ザッコ又・滝ノ下)と合わせても5~6戸しか住んでいない(最盛期17戸)。最寄り校だった蔵小学校や法内小学校は1974年に廃校、高瀬小学校も2011年に廃校となり、かつて町に15校あった小学校もいまや1校となっている。
知名度皆無の限界集落というのも悲しい現実だが、まだ2000年に大森町武道への農道が開通したためまだマシといえる。我々は東由利で数々の廃校跡をスルーしているのである。
校舎敷地内には、周辺住民用のお墓と災害用看板が設置されている(※車両侵入は不可)。
明らかに避難には向いていない気がするが…それでも地区会館を名乗るのであれば良しとしたい。地域の歴史のために少しでもその存在を誇示してほしいものである。
【2024.08追記】
集落会長とお会いし、2023年7月校舎内部を撮影した。当時のままの体育館兼教室部分と増築した和室(集会所)部分に分かれており、令和に入ってからは全然使っていないとのこと。
3世帯3人となり集まる理由が減ったかららしいが、それでも冬の雪下ろしは欠かさないんだとか。
2024年8月に訪問した際は校舎隣と後ろの木々が伐採され、随分と景色が広がった印象があった。お盆期間だったため、久しぶりに雪囲いも外されていたので数年ぶりに帰省する方がいらっしゃったのだろう。
その後調べたところ、秋田魁新報の1969年10月16日 夕刊 2面に「高村分校新校舎完成」の記事が掲載されていた。
新しい校舎は面積122㎡、教室2つ、体育室、職員室、宿直室だけという小さな建物。しかし、山の子供たちにとって、ピカピカの学校は”ご殿”のよう。古い分校はすぐそばにあるが、地盤が軟弱であるうえ老朽化(昭和24年建築)しているため数年前から危険校舎のレッテルを張られていた。
ということで55年あまりここで生き続ける素晴らしい校舎は、この度キーホルダーとしてオンラインショップや道の駅ひがしゆりで販売している。手に入れた暁には是非現地も訪れてみていただきたい。