福万分校

山内村立松川小学校外山分校・福万分校 ~離された雪椿~

山内村立松川小学校外山分校・福万分校 (そでやま・ふくまん)

About 山内村立松川小学校外山分校・福万分校

秋田県横手市山内大松川にある学校跡地。外山は1973年、福万は1985年に閉校(統合先の松川小も1990年閉校)し、いずれも1998年竣工の大松川ダムに沈む形となった。

スポット評価

終末度合い23
訪問難易度23
観光地要素24
化石的価値19
総合評価89

廃墟トランジスタ山内の中でも最高級のエリアがこの大松川だ。沈んだ町と沈まなかった町を比較できるバリューセットは一級品であり、多くの人々が知るはずもない。

山内村立松川小学校外山分校・福万分校のさじなげB級ポイント

2022年3月、平石駅が絶命した。矢美津駅とともに長きにわたって村の交通を支えてきたが、時の流れだけはそれを許さなかった。資本主義では利益こそがすべてなのである。

セキュリティゼロの封鎖に祈りを捧げ、ダムにより造られたみたけ湖へと北上する。

平石駅 廃業
大松川ダム

美しい眺望だが、その陰にヒストリーがあったことを忘れてはいけない。鳥海町百宅東成瀬桧山台も遠くない未来にこうなってしまうのだろうか。

1874年開校の山内村立松川小学校福万分校は、この下にあった。

山内村立松川小学校福万分校 跡地付近
集落(学校)跡地付近
山内村立松川小学校外山分校・福万分校
集落跡地?(橋の上から撮影)
伝説の黒沼

集落跡地の脇(ダム手前の公園脇)に残る黒沼は、この地に住む娘が貧しい旅人に金鉱を授けた場所だという。その人物は「福万長者」と呼ばれ、その後豪農として秋田イチ大きな邸宅を築いたという。

福万は1986年当時27戸で、後述する外山や赤水(外山の奥/移転時7戸)・田代(正確な場所不明/移転時10戸)とともに集団移転した集落である。村内にある軽井沢団地が共同の移転先となっている。

沈まずとも沈む町
山内村立松川小学校外山分校 入口

これだけでも十分ハイカロリーだが、目的地はほかにある。

ダムの中腹から眺めると、北部は森に還っていることがわかる。湖底に沈んだのは手前の福万地区から下流のエリアのみで、それ以降は原野に戻っているのだ。

山内村立松川小学校外山分校 道中

などとへらず口を叩いているが、国道107号線(ダムへの入口)から外山への10km近い道のりに人間はだれひとりいない。次第に擦っていく鳥の囀りが地球の動きを停めようとしている。

道中(県道273号線)はストリートビューがあるため、初心者でも簡単に事前調査が可能である。その静けさに幾度となくやる気をそがれ、訪問をためらうことだろう。

山内村立松川小学校外山分校 現地
集落跡地付近
山内村立松川小学校外山分校 集落跡地

山内村立松川小学校外山分校は上述した福万から更に上流にあり、冬季授業所として1874年に開校している。実質的には分校の更に冬季分校というかなりの僻地扱いだ。

現在では集落を示す看板ひとつないため、ここに集落があったことは認知できない。しかし村の発展のために郷土を離れた偉人たちがいたことを忘れてはならない。

出稼ぎ終えて故郷へ帰る
外山分校 学校跡地付近
学校跡地付近
山内村立松川小学校外山分校 家屋跡地

元住民が耕作に通っているのか、荒地となった外山にもわずかながら整備された場所が確認できた。
移転時でも32戸が生活していたというが、もう10年もすれば跡形も無くなってしまうことだろう。

ちなみに資料によると、集落跡地には「大松川ダム建設に伴う移転前の外山部落位置図」の看板があるという。しかし今回の訪問では、残念ながらそれの発見には至らなかった。