上小阿仁村立沖田面小学校八木沢分校 (やぎさわ)

About 上小阿仁村立沖田面小学校八木沢分校
秋田県北秋田郡上小阿仁村沖田面西山下にある学校跡地。1983年に閉校した後は公民館となり、2010年代はアートイベントの会場として利用された。
スポット評価
終末度合 | 20 |
訪問難度 | 22 |
観光要素 | 20 |
化石価値 | 24 |
総合評価 | 86 |
興味から訪問まで13年もかかってしまった。どうも人がいる場所が苦手だったからだ。しかし嵐の去った廃校はまた美しく、集落の未来を克明に映し出すものだった。
上小阿仁村立沖田面小学校八木沢分校のさじなげB級ポイント
サイト開設初期に八木沢集落に関する記事は書いているものの、どこか満足できないでいた。なぜなら他にも多くの記事でこの地は言及されてきたからだ。
それには理由がある。地域おこし協力隊制度が始まった初期に赴任した人たちは、総務省でも明確な成功事例として紹介され、全国紙やメディアにも大きく取り上げられた。

そのため、当委員会はその波が去るのを静かに待っていた。悪意ではなく、活気に満ちた姿ではない素の八木沢を見たかったからだ。集落たるものには「日常」があるはずだから。
不幸にも2019年末、新型のウイルス蔓延によりイベント興行は中止を余儀なくされた。

2023年末と2024年5月。当委員会は村役場と準委員多田野村人氏の多大なる協力を得て、公民館で集落会長の畠山さんにお話を伺った。優しい口調にもユーモアが混じるクレバーなお方。
幸運にも、我々はアートに全く興味がなかった。飾らずとも、ここはなお美しい。
考える子にな~れ


上小阿仁村立沖田面小学校八木沢分校は昭和初期に営林署事務所として使われたものを再利用した校舎で、手前から体育館、5~6年、3~4年、1~2年、職員室の構造となっている。
※旧校舎は木造橋手前のお墓付近にあったという
他校に比べても大きな分校だが、前身となった施設利用があるなら納得できる。

閉校前の年度の学習目標は令和でも掲示されていた。自ら考えなければ、この地をどうすればいいか判断することはできない。忘れることは簡単だが捨てることは難しい。
独自の目標を設けていることも興味深い。かつては萩形の集団移住も含め100人以上が通ったマンモス分校だったこともあり、自治制が高かったことも見受けられる。

当時の大運動会の様子。校舎(左)裏の林がなく、すべて耕作に利用されていることがわかる。
公民館の中には昭和期の八木沢に関するアルバムが多数所蔵されており、ここに住む人たちが記録を大切してきたことがうかがえた。
畠山さんは落ち着いた口調で、「コロナ以降番楽はやらなくなったよ」と話した。
教室には箱に詰められた衣装と太鼓が収められていた。

KAMIKOANIプロジェクトが行われた10年ほど前、8世帯19人いた住人はいま7世帯14人になったという。
うち2世帯は冬期間役場近くに移り住むとのことで、着実に高齢化は目の前で光っている。
2023年は大雨の影響でイベント会場とならず、外部の人間は一切訪れなかった。
2024年も予定はないそうで、校舎は設備補修と解体(縮小)の瀬戸際にある。

黒板だけはカレーをふるまっていた13年前のままだった。懐かしいのが悲しい。
彼らが日常に訪れることはあるのだろうか。かつての産業の無くなった集落をこれからどう扱っていくか、行政だけではなく日本人全員が考えていく必要がある。