鳥海町立小川小学校村木分校 (むらき)
About 鳥海町立小川小学校村木分校
秋田県由利本荘市鳥海町小川村木にある廃校。校舎の一部が残り、便宜上は地区会館となっているが使われた形跡はあまり見られない。最盛期13戸あった民家は3戸ほどになり、町一番の眺望は終焉へと近づいている。
スポット評価
終末度合い | 19 |
訪問難易度 | 22 |
観光地要素 | 20 |
化石的価値 | 21 |
総合評価 | 82 |
湯瀬と並んで委員一同が寵愛する鳥海エリアの中でも群を抜いてアクセスが悪く、町の全大字を訪問したわたくし石塚も最後に訪れたほど。しかしその光景は廃村高山をも凌ぐ一級品であった。
さじなげB級ポイント
南北に広い由利本荘市鳥海エリアは国道108号線の川内伏見地区と笹子(じねご)地区、次いで県道70号線近辺の猿倉地区と直根地区が主な区分けである。
当委員会でも廃村 袖川や栩山を取り上げており、矢島と並んで奥深い魅力を演出するB級名所といえる。中には築200年以上の茅葺き住宅も現存する。
そんな町中で明らかに不自然な案内を提供する看板が上川内生出谷地にある。
集落入口を示すは交通標識程度のものが主流だが、町で唯一これだけがでかでかと掲示されているではないか。これはもう行かない選択肢などない。
坂道降りてすぐの百合茎を抜けるとすぐ上画像のような山林となり、4kmほどの道のりだが随分と登りが続く。中間地点には池があるので参考にしてほしい。
登りきると開けた場所に出るので、道路沿い(羽後町蒲倉)ではなく左の脇道に反れるのが村木集落である。
急な坂道沿いにわずかな棚田と小屋を見下ろす他にない空間、これは是非現地で体感していただきたい。そして画像奥左がいまも残る分校跡だ。
鳥海町立小川小学校村木分校は1909年開校で、地区会館として一部が残る校舎は1968年に建築されたものである。「秋田・消えた分校の記録」でも「自然の美しさは格別である。この地に立つと空気の味が違う感じがする」と絶賛している。
学校奥にある一戸(上画像/未舗装道で羽後町蒐沢に至る)。田畑はよく管理されているが、昭和中期に十数名が学校に通ったその形跡がどこにも見当たらない。
村木集落への道中に住居用エリアは見られず、住宅地図として記録が残る最古の80年代版を開いても4戸ほどしかない。アップダウンの厳しい棚田に生まれ育った記録はどこにも残っていないのだろうか。
車でも随分遠い統合元の小川小学校も1993年に廃校(2023年6月記事化)。美しさと虚しさが混在する隠れた名所、是非その目で確かめていただきたい。
【追記】
2023年11月と5月再訪。かつて分校に勤務していた土田さんとお会いして鍵を開けていただいた。
※NHK秋田放送局の取材にもご対応いただきました!心から感謝!!
ご自宅が火事で燃えたのがきっかけで離村したそうですが、今でも元住民と自身の家があった土地を田んぼにして晴れた日は耕作に通っているとのこと(山の下に在住)。
校舎は年1使うかどうかになってしまい、電気水道は撤去されていた。
1991年の集合写真に映る人たちはほとんどが逝去したが、それを伝える60年モノの校舎があることが驚きだ。1968年以前はここに茅葺の校舎があったといい、当時の冬季分校暮らしはとても想像がつかなかった。後日キーホルダーを作成し、記念にプレゼントした。
ちなみに集落に楽天のアンテナを設置営業しに来た方が当委員会の知り合いであることが判明し、6月にもご挨拶に伺った。秋の美麗な時期にまた来ることを約束し、小屋でサイダーを飲み交わした。