象潟町立上浜小学校関分校 (せき)
About 象潟町立上浜小学校関分校
秋田県にかほ市象潟町関西大坂にある学校跡地。1973年に小砂川分校、観音森分校と共に本校へと統合された。跡地には地区会館と体育館が建てられている。
スポット評価
終末度合い | 14 |
訪問難易度 | 12 |
観光地要素 | 16 |
化石的価値 | 14 |
総合評価 | 56 |
跡地公園は往時そのまま残り、たいへん感銘を受ける。車社会となり周囲は巨大なトラックが通り抜け、時代の変化をひしひしと感じる場所である。アクセスも良好で初心者向け。
象潟町立上浜小学校関分校のさじなげB級ポイント
おチ〇コと同日の訪問である。よく晴れた秋の空、我々人間も巨大な男根のようにぶらぶらと自由に放られてみたいものだ。それこそが紳士の嗜みといえよう。
今宵も禁欲に成功したので豪石されずに済みそう。かつて潟地だった山が隆起したように、盛り上がった気持ちはもう抑えることができない。寂しく廃墟散策に勤しむばかりである。
やあ関君。彼はにかほ市役所象潟支所と上浜駅の間に住んでいる。画像左奥がもう学校であり、右を向けば国道7号線やエロ廃墟が吹き荒れている。交通安全の重要さをビンビン感じちゃう右乳房。
この奥は「ウヤムヤノ関」という珍しい小字で、その由来は少し南に行った小砂川の県境「三埼峠」にある。かつて存在した旅人を喰らう鬼の存在を知らせるため、霊鳥(観音様の化身)がうや・むや(鬼がいる・いない)を告げたという伝説からその名を得ている。
その昔多くの旅人を苦しめたという不毛の地に、分校は残っている。
廃校跡地とは思えない木々の緑と、絶え間ない排気ガスに息を呑む場所だ。
さにめ坂の城跡
象潟町立上浜小学校関分校は1908年に分教場として開校、1933年に現在の場所へ移された。1951年には教員住宅も建てられ、その頃は50名ほどの児童がいたという。
ただかつての本校までは南に3kmあまりのため、通ったのは1年生と2年生のみだった。素晴らしく景色の良い場所なだけに、その後廃校しようとも土地は残し続けたのだろう。
現在残っている建物は統合跡に作られた地区会館+体育館だが、図書スペースもあり学校の面影を残す作りとなっている。
敷地内(会館向かい)には分校跡地だと記した綺麗な石碑も残っており、県内では貴重なよくよく整備されたスポットである。7号線南下の際は是非一度訪れてみてほしい。