二ツ井町立仁鮒小学校 (にぶな)
About 二ツ井町立仁鮒小学校
秋田県能代市二ツ井町仁鮒後山52-1にある小学校跡地。集落の中心にあるが活用はされておらず、静かに時を刻み続けている。1877年開校、2008年廃校(二ツ井小学校と統合)。4434名もの若者がここから巣立っていった。
スポット評価
終末度合い | 12 |
訪問難易度 | 11 |
観光地要素 | 16 |
化石的価値 | 16 |
総合評価 | 55 |
木造の校舎は取り壊すかガッチリ活用するかの2択に絞られがちだが、目立つ場所で放置されている仁鮒小は通るたびに悲しみが募る。艶めいた閉校記念碑とは対照的に、たった10年でここまで寂れてしまうものかとショックを覚えてしまう。旧切石小学校と、旧田代小学校とセットで訪問すれば悲しさ倍増。
二ツ井町立仁鮒小学校のさじなげB級ポイント
能代市二ツ井町は「木都能代のおひざ元」として栄華を誇り、北部の藤里町と併せて伝統木材「秋田杉」の絶好の生産地であった。ここ数年は地場木材を再評価する動き(例:杉恋プロジェクト)も出てきたが、それでも林業従事者は減少の一方である。引く手あまたの市場だが、目指す若者も少ない。
二ツ井エリアには当時を物語る地名(例:荷上場)も残り、昭和の風景を今に残す「駅中心の商店街」を垣間見ることができる。三種町琴丘鹿渡駅前よりもオススメだ。
畠山書店で地図を確認し、万福食堂で名物の「ザザーメン」を食べたら準備完了だ。
二ツ井小と「じゃっぷう」を舐めながら県道203号線のいちょうはしを南下すれば目的地の登場だ。木をぬくもりを一切感じることなく、冷徹な時代の逆風を肌にすり込もう。
10年とは思えない歴史の重み。同じく2008年に閉校した旧切石小学校とは建築年こそ違うものの、こちらの方が面妖な有様を住宅すぐ近くに残している。
ここは住所区分も「仁鮒」である。川沿いであることからその地名がついたのであろう。更にここからは14kmほど南下可能で、ガケや集落を挟みつつ旧林道沿いに田代集落が続いている。そしてその先には「日本一の天然秋田杉」があるため、二ツ井観光(南編)はセットで訪れたいところ。
また、成田為三先生勉学の地という石碑がある。「浜辺の歌」などの作曲した秋田の有名人であり、尋常小学校時代に巣立ったことを記念して楽譜まで載せているのだ。
こちらはまだ風化しておらず、廃校に添える楽譜の浮き具合を楽しむことができる。
しかし唯一残念だったのは、結露のせいか「閉校ありがとう仁鮒小」がとれかけていた点である。100年以上地域を支えた学び舎、せめて最期くらい紙印刷ではなく看板掲示がほしかった。
あした浜辺をさまよえば、昔のことぞ、偲ばるる

【追記】
2023年1月再訪。有志の方から「田代小が解体されている」との連絡があり、焦って訪問した。
しかしこちらはまだ健在だった。だが次残っているとは限らない。怖い世の中だ。


そして前回訪問時には見つけなかったが、校舎裏(人家の脇から登る)の丘に校庭らしきスペースがあった。確かに校舎前では狭すぎるとは思ったが羨山。マヂ尊い。
ただふれあい広場はおもしろ館めいていて気味が悪かった。倉庫だとは思うが…近くで遊びたくはない代物だ。字体も大人びていてロマンスが感じられた。マヂ怖い。