廃村皆瀬村外浦雨沼 (そでうら/あまぬま)
About 廃村 皆瀬村外浦雨沼
秋田県湯沢市皆瀬外浦および雨沼にある集落跡。最盛期はそれぞれ5戸・12戸で、個別移転で1992年までに全員が離村した。村屈指の僻地にあるため、道中含め大半が荒れ地になっている。※サムネイルは雨沼、上画像は外浦の風景。
スポット評価
終末度合い | 21 |
訪問難易度 | 24 |
観光地要素 | 13 |
化石的価値 | 14 |
総合評価 | 72 |
未舗装地獄の田ノ沢に並ぶ長旅である。こちらは舗装済だが、鬱蒼と立ち並ぶ森林の圧力が尋常じゃない。耕作に通う軽トラとすれ違う場合もあるため、安全運転を心掛けたい。
廃村 皆瀬村外浦雨沼のさじなげB級ポイント
「秋田最後の至宝」と委員の評価もストップ高、湯沢市皆瀬地区が遂に本格登場となる。我々と相性が悪い高橋姓が大半を占めるエリアである。
当然メインは南部の小安峡温泉だが、今回は北東部に歩み始めよう。
地区の中心菅生集落の皆瀬小学校から東に1km、一度稲庭町を経由して狭くなる落合川沿いを遡上していく。
また2kmほど行くと一旦行き止まりになり、住宅らしからぬ建物が見えてくる。これは1966年に閉校した立岩小学校落合分校の跡にできた地区会館(画像下)で、今回の廃村訪問の起点となる場所である。
地区会館脇のT字路が大きな分かれ道である。ここから北に行くと10戸ほどが暮らす沖ノ沢集落、「7km 上生内」と記された細路地が廃村の入口である。
狭くカーブミラーのない蛇行路を1.5km進むと分かれ道(下画像)がある。ここで進捗を確認したいところだが、看板の集落名は抹消されている。右は湯の沢集落と県道323号線に繋がる未舗装道で通行は避けた方がいい。左折しよう。
ここからは狭く暗い道のりだった。ストリートビューが引き返した理由もそれとなく察することができる。分かれた先がどこに行けるのか、さっぱりわかりやしない。
2kmほど下画像のような光景が続く。電柱があるだけ感謝しておきたい。
皆瀬村外浦と雨沼は先述の通り1992年から廃村で、外浦は離村者が今も耕作に通っているという。訪問時は夕方だったためか、2台の軽トラとすれ違った。
更に2km進むと上画像の場所に着く。日が暮れると不安要素しか出てこないので、まずは左の外浦へと急いだ。
分かれ道から500mほど登るとようやく外浦集落に着いた。「秋田・消えた村の記憶(2001)」によると「4戸の茅葺き屋根がそっくり残っている」とあるが、山村の欠片は全く残っていなかった。そのようなスペースも見当たらない。
右上の木造小屋は電柱に電気メーターが付いており、作業用に使用しているものと思われる。ページ最上部の画像は木造小屋反対側の風景である。
また、雨沼集落はご覧の通り原野となっている。1993年までは皆瀬小学校雨沼冬季分校(1980年閉校)があったらしいが、跡形もなく消滅している。
道中も鳥海町袖川以上に狭く、人間の証を感じることは難しい。集落跡も行き止まりとなっており展開困難、住宅基礎が2つあるだけで見るに堪えない。
両集落とも、入口手前には侵入を封じる鎖が巻き付いていた。正直もう少し手前に設置していただきたいが、死村に口無し。
皆瀬村史(1993)によると、道路の舗装は1966年頃で、数名の児童は皆瀬小学校までスクースバスが通じたという。(離村1年前の段階で雨沼が5世帯11人・外浦が19人4世帯だった。みな高橋姓)
ただ「バス通行が困難なため、落合分校までは歩かせた」とある。雨沼までの道中を思い返すと身の毛がよだつ。
いずれも原風景の一切を失っており、悲しい限り。住民以外の誰にも知られないまま、森へと戻っていくのだろうか。
【追記】
1980年代の雨沼集落。道中にある赤い建物は神社で、学校は一番手前にある建物ではなくUの字の下にあるはずだがよくわからない。
そして5戸ほどの家屋+小屋が確認できるがこんなものはない。
あったのはこういう残骸だけだった。久々に画像を見直したら切ない気持ちが、増えてしまった。