仙翁台 (せんのうたい)
About 仙翁台
秋田市河辺岩見仙翁台にある限界集落。80年代には5戸が住んでいたが、2000年以降は1戸が生活するのみである。残る数戸は廃墟となった行き止まり集落。
スポット評価
終末度合い | 22 |
訪問難易度 | 18 |
観光地要素 | 18 |
化石的価値 | 25 |
総合評価 | 83 |
長年秋田市に住んでいるメンバーも息を呑む廃墟たちだった。地元住民でも滅多に行かないという山奥には、みんなの知らない秘密が詰まっていたのである。
仙翁台のさじなげB級ポイント
孫請けアゴ利用人間の我々にとって、休日とは貴重な殴り合いの場である。言葉の暴力によって権力者をなぎ倒し、鍵垢で政治批判を繰り広げるウィットに富んだ集団なのだ。
そんな稚拙なジョークをひっさげて、明くる日曜日は図書館に繰り出した。いつも通り貸し出し不可蔵書を漁っていたところ、気になる文言が目に留まった。
1994年に発行された教科書「わたしたちの河辺町 小学3年生」を読み解いていると、町全体図左端の離れた場所に「仙翁台」という文言があった。
長年秋田市に暮らしていながら、これは聞いたことのない集落名。我々の不徳の致す限りかもしれないが、何か大きな運命めいたときめきを感じ、その足でガソリンを撒きに向かわん。
中嶌がデートで泊まって引かれたユフォーレとへそ公園の狭間、これまで通り過ぎていた杉沢地区の先にずっと進んでいける舗装道があった。わずか2kmあまりの道のりだが、とても先に集落があるとは思えない。
ストリートビューもあるので是非確認していただきたい。
一般人であれば、この右側に家屋が生き残っていることに気づかないことだろう。
集落の手前に廃墟があろうとは何とも物騒な道祖神である。確かに疫病は寄ってこないことよ。
データ不在の闇
ここは本当に秋田市なのだろうか。合併して17年経ったとはいえ、行政の遥か端っこにこの集落は認識されている。
80年代のゼンリン地図を開くと、生活していた5戸はなんとすべて石塚姓だった。これこそまさにディスティニー。運命とはときにイタズラで、間に合わないときもあるらしい。
しかしながら住民の活力は素晴らしい。ぶち擱かれたシンクで青空野菜教室が開墾されている。
これさえあれば土を掘る必要もない。自然の力こそ偉大、人間など無力極まりないのである。
ご覧のあり様を体現するように、河辺町史(1985)や河邊郡誌(1917)を開いても仙翁台の名は現れなかった。唯一可能性があるとすれば、群誌に記された「明治合併前(1889)の岩見村:小出・萱森・杉澤・鵜養・野村・杉ノ臺・新川」「合併後:八慶・臺・小平岱(M5にできた)・新川・鵜養・杉澤・萱森」の中に該当するものがあるのかもしれない。
集落入口の残り1戸の住宅はとても立派で、これからも住み続けるという強い意志が感じられる。
しかしその環境か運命か、おそらく死去した関係でほかの家屋たちはほぼ手つかずのまま放置されている。野生動物や自然災害のリスクもある中、残る方の意思の強さは計り知れない。
そこには偶然の出会いとは思えない、強く目に焼き付く限界集落の姿があった。