廃村 矢島町軽井沢 (かるいざわ)
About 廃村 矢島町軽井沢
秋田県由利本荘市矢島町新荘字鍋倉及び立石字軽井沢にある廃村。2008年無人。最盛期16戸とされ、現在は道路沿いの3戸とその脇の2戸がひっそりと残っている。一見すると人の生活が残っていそうで、後から焦燥感が襲ってくる。
スポット評価
終末度合い | 16 |
訪問難易度 | 14 |
観光地要素 | 16 |
化石的価値 | 17 |
総合評価 | 63 |
通常の廃村群から見れば十分僻地に値する物件だが、この奥に潜む貝喰や行平のインパクトがすさまじく、どうしても見劣りしてしまう。ただ大自然に居抜きされたような様相はまた別の静けさを醸し出している。伸びしろはこちらの方が大きいかもしれない。
さじなげB級ポイント
由利本荘市矢島地区は隠れ廃墟名所として(我々の中で)知られ、鳥海町散策前のウォーミングアップには十分すぎるボリュームを孕んでいるエリアだ。
なかでも東由利町田代地区に至る県道32号線は、その新しさとは対照的に道中を大関級廃墟群が軒を連ねる。しっかり腹ごしらえやトイレなどを済ませてから訪問に臨んでほしい。よろしく願いたい。
貝喰や十二ヶ沢でも取り上げた情けない看板を曲がらず、盤面通りに東由利方面へ歩みを進めると見えてくるのが矢島町軽井沢だ。地名の由来は「背負い」の古語「カルイ」にあり、峠の手前をる意味している。
道路沿いに見える3戸は常駐こそしていないものの、農作業用に使っているような形跡が見られる。廃墟らしき面影は一見感じられないが、2000年には常駐者1戸のみというデータが残っている。
交通アクセスの良さ、道路ひとつが周囲の集落との姿をここまで変えたかと思うとこみ上げてくるものがある。是非ほかの廃村とも比べてみてほしい。たとえ廃墟廃村になろうとも、管理(往来)のしやすさは重要なポイントとなるようだ。
上記ストリートビューが軽井沢のメイン地区である。マップに戻すと県道整備される前の道路(画面中央の右奥にある)が確認できるが、ここを開拓した先人は計り知れない努力を払ったことだろう。
また、ここにはかつて「矢島小学校軽井沢冬季分校」があったとされるが、その校舎跡地を見つけることはできなかった。(1998年解体)
冬季分校は1963年に2キロ下の十二ヶ沢分校の冬季分校として開校し、その後1972年まで営まれた短命校だった。
子供たちの両親はもちろん、高齢者以外は集落のほとんどが冬期間は首都圏に出稼ぎに出ていた。当時は雪上車やブルドーザーが来てほしいと願ったものだった。それが実現されるようになった今、人々が山を降りてしまった…
秋田・消えゆく集落180(無明舎出版・2017年)
写真はメインエリアの32号線沿いから、南東方向に上がる道路(旧道)に入った先にある茅葺き屋根の廃墟である。こちらは完全に使われていないおらず電柱と伝統家屋のコントラストに思わず身震いした名所だった。
ちなみにこの道路は上妻之神を通り、下岩之沢(32号線の入口)まで降りてくることができる。降りる道中で見える鳥海山は隠れた絶景スポットともいえる。
かつての学び舎から見えた修験の頂は、いまと同じように美しかったのだろうか。時代が移り変わっても、自然の美しさだけは変わらないでほしいものだ。
【追記】
2022年夏、1戸だけ人が戻っていた。日中のみ、作業のため通っているのだという。
それでも遠いため今後はあまり来れなくなるかもとのこと。冬が越せるかは毎年心配だそうだ。