廃村 貝喰 ~跡形無き遺跡に桃源郷を見た~

廃村 貝喰 (かいばみ)

廃村 貝喰 全景

家があったのかすら危うい。

About 廃村 貝喰

秋田県由利本荘市矢島町立石下貝喰にある廃村。1995年無人。最盛期5戸とされているが、現在は家屋はおろか作業小屋ひとつすら見つけることはできない。山奥に生き延びた小集落の輝きは、もはや完全に失われつつある。

スポット評価

終末度合い22
訪問難易度24
観光地要素19
化石的価値16
総合評価81

たかが集落訪問といえど、道中は大冒険と言わざるを得ない。現代に生き残る古代遺跡として末永い評価が必要だ。しかし建物や歴史を感じられる物が少なく、時間がかかる割には少々残念な気持ちが募る。

特徴

由利本荘市矢島町、一般的には由利高原鉄道の始発駅として知られている。1万国を有した生駒氏は、ゆるやかな坂道沿いに豊かな城下町を築き上げた。ほかにも龍源寺天寿酒造でも知られていて、コンパクトながらインパクトのある街並みを楽しむことができる。

だがそんなコンテンツは我々の眼中にも入っていない。ここは高難度ダンジョン鳥海町の手前にありながら、廃村ファン必見の名スポットを数多く有する県屈指の名所なのだから。

廃村 貝喰 入口

ようこそ、奥深き矢島の世界へ…

矢島町新荘地区と東由利町田代地区を繋ぐ県道32号線、それは幻想世界への入口か。

入ってすぐ急激な登り坂が始まる。あっという間に先ほどまで見ていた矢島中心街の街並みは米粒のように小さくなる。案内のカケラもない未知の領域を3kmあまりクライムすると、ようやくシンプルな青いアイツの登場だ。嬉しい人工物。

興味のある方は(おそらくいないと思うが)、ストリートビューがあるので是非道中もチェックしていただきたい。

右に行くと東由利というありがたいありがたい道路標識。しかし左が貝喰への入口だ。

ここから先は更なるレベルアップが行われる。ドラクエでいうところの1歩進む度に体力が減る毒沼のイメージだ。滑落を補強する銅板も、地滑りを防止?している原始的な杭もすべてが旅のスパイスになる。電柱だけを信じて進むしかない。

廃村 貝喰 行平

廃村「行平」への入口。貝喰はここから右折。

あえて道中はカットさせてもらったが、獣道同然の凸凹悪路を進むと廃村「十二ヶ沢(じゅうにがさわ)」(2005年無人)が見えてくる。1件だけ残っている廃屋は最後まで住んでいた方の住宅だが、草木に覆われほとんど見ることができない。かつては分校もあったというが…

【注意】十二ヶ沢に行く途中で分かれ道があるが、必ず左折するように。32号線からそれてすぐのところで右手に廃屋が見えるが、その先に行ってはならない。廃屋も十二ヶ沢としてくくられていると考えられるが、90年代初頭の地図にも記述はなかった。万が一右折した場合は廃屋以降切り返しが困難。滑落寸前の崖地帯を抜け、大量の虻と蜂に囲まれた草木をかき分け、枯れ木でほとんど見えなくなった未舗装道を登ることになる。(いちおう32号線に出ることはできるが)絶対にやめよう!

そこから見える田んぼ跡から更に山奥へと入り込み、林道のような悪路を越えると見えるのが、上画像に見える廃村「行平」だ。これは該当ページで後日語らせてもらうが、現在も2戸が耕作に通っていて綺麗な田園風景を拝むことができる。しかしここからが貝喰訪問真のスタートだ。

廃村 貝喰 道中

行平~貝喰間。これが40分続く。

その先にある集落を追い求め、あてのない旅は長く長く続くことになる。

有耶無耶の関を越えた猛者たちも、得も言われぬ不安を抱えながら歩みを進めたのだろうか。モータリゼーションがなければ訪問する気にもならないこの地に、時の行政は何を思ったのだろうか…

廃村 貝喰 地籍調査

!?!?!?!?!?!?

しかしこの日、奇跡は起こった。偶然にも訪問したその日に、由利本荘市による地籍調査(土地の境界に関する位置や面積を測量するもの)が行われていたのだ。廃村に突如として現れた車の数々。生き証人たちではないか!!

と思ったのもつかの間、我々は失意のどん底へと追いやられる。どこを見回しても人っ子ひとりいない。地籍調査は土地の境界を調査するため、必ずしも生活道沿いを行うとは限らない。って左右は山とガケなんですか…みなさん何処へ…

廃村 貝喰 調査A

【悲報】集合場所 道中のレベル高すぎて集合できない

それでも不幸中の幸いか、「地籍調査集合場所A」の看板が建っているあたりが少しばかり開けている。ゼンリン住宅地図と見比べたところ、おそらくここが貝喰地区だった場所と思われる。”だった場所”と表現させていただいたのは、93年ゼンリン住宅地図に表示されている2軒の住宅が全く見つからなかったからだ。

(矢島山間部の小集落では)今はほとんどが町の中心地や本荘市に移住し、夏機関に1戸か2戸の老夫婦世帯が田んぼの管理のため暮らしているだけである。貝喰には住宅と小屋の2棟が残っている。 ※「秋田 消えた村の記憶/佐藤晃之輔/1997」

 

行平からは未舗装道の一本道だったため、住宅が建てられるようなスペースはこの「A地点」以外に考えられない。むしろこれがなければ何も発見できず、引き返していたかもしれない。

このA地点はイコール一番上に掲載した画像である。よーく見ると中央左に水瓶のようなものが確認できる。おしなべて廃村における人工物は、さながら天からの恵みかのように感じられる。

廃村 貝喰 田んぼ

集落跡から少し上にある田園。とても丁寧に耕作されていた。

貝喰手前の廃村「行平」「十二ヶ沢」「軽井沢」はギリギリ家屋が残っており、耕作に通っている風景も相まってまだ人間の有様を感じることができる。

しかし貝喰の田んぼ(上画像)は集落跡から更に登った場所(下のgoogleでいう右上のスペース)にあり、当時の地図や住民のアドバイスがなければもはや発見すらも難しくなってしまった。

地籍調査に感謝しながらも、インタビューできなかった後悔が募る訪問となった。それでも田んぼを見つけたときの感動を忘れることはないだろう。現代に隠れし桃源郷がそこにはあった。

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