廃村 雄物川町新宮 (しんみや)
About 廃村 雄物川町新宮
秋田県横手市雄物川町二井山字新宮にある集落跡地。戦後に開拓された標高190mにある元雑木林で、4戸が入植したが1979年に全戸が離村した。
スポット評価
終末度合い | 19 |
訪問難易度 | 23 |
観光地要素 | 20 |
化石的価値 | 22 |
総合評価 | 84 |
東は未舗装、西は崩落隧道(未舗装に迂回)と行く手を阻む。鳥海町のように近隣集落は遥か下にあり、独立した陸の孤島といった印象を抱く。
廃村 雄物川町新宮のさじなげB級ポイント
全国的には男子バレーボール部が有名な雄物川高校を有する横手市旧雄物川町、街中にはセキュリティを超越した商店たちが立ち並び、役所近くには昭和初期~中期にかけて活躍した名投手ヴィクトル・スタルヒンが眠っている。
名前の通り川沿いに町が発達しているが、東由利町と接する山沿いは大動脈県道107号線を除くと車通りはほとんどない。
二井山小学校跡(153番地)から南西に500mほど進むと県道48号線に乗り、ストリートビューが途切れているのがわかる。
これはかつての横荘線の線路跡である。1953年に廃止された二井山~浮蓋~老方区間の名残で、少し進むと突如御岳トンネルが現れるので少々ビビる。
(※本来は48号線沿いが線路跡だが、二井山集落から700mほど南にある二井山トンネルが崩落しているため集落西部から侵入した方が近い)
トンネルを抜けても狭い通路が続き、車一台がやっと通れるほどだ。かつて電車が通っていたとはとても考えられない。
上画像を抜けるとすぐに金屋隧道(記事一番上)が登場し、森の中に残る異様さはいたく目に焼き付いた。蝉の五月蠅い夏の日のことだった。
二井山からわずか2kmあまりの道のりだが、随分と長く感じられる。ふたつのトンネルを抜けるといつの間にか高地に飛び出し、右下を見ると2戸しか残っていないの水沢集落が確認できた。
ほどなく再び両手を森に囲まれれば、間もなく新宮集落跡が見えてくる。
中々に骨の折れる県道だった。「秋田・消えた開拓村の記録」(2005)によると移転理由はやはり奥地の不便さによるもの。
平成中期までは移転者が耕作に通っていたとあるが、掲載当時で80代後半のためほとんどが荒地となっている。冊子にあるような水田は確認できなかった。
集落跡の入口には、いつ建てられたのか侵入を禁ずる看板があった。地図によるとここから100mほど南下できるらしく、わずかに耕作が続いているようだ。
かつては1km先の東由利浮蓋とも交友が深かったというが、どちらも廃村化、周辺集落も数戸を残すのみとなっている。鉄道と共に人間の痕跡も消えつつある。