旧陸軍六郷飛行場 ~見えなくも重い魂~

旧陸軍六郷飛行場 (ろくごう)

旧陸軍六郷飛行場 外観

About 旧陸軍六郷飛行場

秋田県仙北郡美郷町六郷東根東明田地に戦前作られていたシークレット軍事施設。現在は敷地の一部が運動公園と野球場になり、未来の軍人たちの育成に励んでゐる。

スポット評価

終末度合い12
訪問難易度10
観光地要素14
化石的価値15
総合評価51

新聞とかに載っても興味深く眺めるような人間はもうこの町に少なくなってしまった。それでもひとたち現地に赴けば、その関心は全く異なるものとなる。わかりやすい手のひらクルクル場だ。

旧陸軍六郷飛行場のさじなげB級ポイント

観光マップを拓けば、さもグルメだ神社だと躍起立てる作りが流行している。確実に歩いてるとは思われないルート周遊を推奨し、拙い芸能人が我が物顔で愛着アピールに横着していることが多い。

当委員会は国策に反旗を翻すライト兄弟であり、詩の国秋田を愛することで世界に名を得し誇りの集団なのである。拠って我が仙北軍の本拠地に最大の賑わいを生むべく筆を進める事とした。

美郷町六郷東根

清水ノ郷六郷ニハ最新鋭の大規模太陽光稼働電気発生変換装置ヲ敷設シ、今ヤどのように訪問すればいいのかワカラナイ神社を拝める珍妙な街並みを有している。

すべからく旅館も有しているため、経済の発展も見込まれる。

六郷東根運動公園

建設すべき施設は金沢地区と千畑町の間にある関田円形分水工から南に400mあまり、広大な田園を最良地として選定した。

廃墟大帝国の歴史こそ日本発展の歴史と繋がって逝く。改めて依頼品を見てみよう。

飛べ!お国のために
旧陸軍六郷飛行場 看板

六郷飛行場跡は太平洋戦争末期に整備されかけたエリアで、全国に敷設が進められていた軍事施設のうちのひとつだという。現地には丁寧な看板が設置されているが、3の現地は照合が困難である。

その裏側には、次のように記されている。

旧陸軍六郷飛行場 郷土訪問飛行の地

1945年5月14日、大隊長らが町役場を訪れ、「明田地の原野をそのまま利用し、特攻用の秘匿飛行場を児童の手で整備してもらえないか」と国民学校に打診したのが始まりである。
これを受けて近隣の児童2000人以上をはじめとして、幅200m、高さ1500mの飛行場の整備が終戦前日まで続いた。

作業が進んでいた7月15日の出来事として、米軍機に飛行場を発見され、機銃掃射を受けて避難したという話が伝わっている。

現地の看板より一部抜粋
旧陸軍六郷飛行場 郷土訪問飛行の地

幸運にもこの飛行場が活用されることはなかったが、幻の木造船(能代市)同様戦時下の軍事力確保は急務であったことが伺えるエピソードである。別サイトによると、整備のため移転させられた住宅もあったそうだ。

ちなみに、近くには県内初の民間パイロットである佐藤章の郷土訪問飛行の地と記念碑が残されている。危うくここが暗い歴史を生み出す場所になっていたかと思うと、以外にも奥深いスポットである。流れをくむことで興味が湧いていることを肌で感じられる、小さくも大きな場所だった。