西仙北町立土川中学校心像分校 (こころやり)
![西仙北町立土川中学校心像分校 外観](https://do-inaka.info/wp-content/uploads/2024/05/daisen-nishisenboku-kokoroyari2023-1.jpg)
About 西仙北町立土川中学校心像分校
秋田県大仙市土川小又口10にある学校跡地。1968年に中学校としては閉校し、77年に心像小学校としても閉校した。校舎の一部を地元自治会が買い取り、その後しばらくは保育園として利用された。現在でも自治会所有の公民館として扱われている。
スポット評価
終末度合 | 17 |
訪問難度 | 14 |
観光要素 | 15 |
化石価値 | 20 |
総合評価 | 67 |
3年半越しに再びこの地について記載することになる。そこには度重なる偶然と素晴らしい出会いに紐づいた絆があり、小さな組織は僅かながら集落に寄与できるかもしれないからだ。
西仙北町立土川中学校心像分校のさじなげB級ポイント
2024年5月2日、その廃校は東北6県のテレビモニターに映っていた。
「廃墟の”今”を記録 人々の記憶に残したい」と題した特集で、当委員会に携わる一因である奇怪な人物が横行闊歩であった。やはりメディアは雲の上の存在だ。
![西仙北町立土川中学校心像分校 入口](https://do-inaka.info/wp-content/uploads/2024/05/daisen-nishisenboku-kokoroyari2023-2.jpg)
そんな地方に残る数少ない有能組織でも、この地には惹かれる魅力があるのだろう。
一見廃墟で過ぎ去るはずの建物だったはずが、どこか人の命を感じさせる管理具合は知的好奇心をくすぐってくるのだ。ときに愛くるしい。
アブナイアブナイ、いつもの気分で駄文を積み重ねるところだった。要約すると「取材にあたってオススメの箇所をいくつか教えてほしい」という打診があったため、いの一番に心像をレコメンドした経緯がある。
![西仙北町立土川中学校心像分校 会長](https://do-inaka.info/wp-content/uploads/2024/05/daisen-nishisenboku-kokoroyari2023-3.jpg)
今回の放送が実現できたのは、2023年秋に集落会長にお会いして建物内部を紹介していただいたことが発端となっている。そのときの心優しいご対応が忘れられなかったからだ。
「集落で保育園に立て替えた頃は道路があがっていて、今よりもっと急な坂だった」と語る会長の嵯峨さんは明るく朗らかだ。本校まで歩いた冬道を今でも思い出せるという。
思い出は当時のまま
![西仙北町立土川中学校心像分校 体育館](https://do-inaka.info/wp-content/uploads/2024/05/daisen-nishisenboku-kokoroyari2023-4.jpg)
![西仙北町立土川中学校心像分校 体育館正面](https://do-inaka.info/wp-content/uploads/2024/05/daisen-nishisenboku-kokoroyari2023-5.jpg)
西仙北町立土川中学校心像分校は現在も残る貴重な木造建築のひとつで、閉校後も集落が買い取って今まで修繕を続けてきた。体育館には木造手動のバスケットゴールもある。
体育館後ろは校舎部分への入り口にあたる生徒玄関となっていた。よく今まで生きていてくれた。
![心像小 校歌](https://do-inaka.info/wp-content/uploads/2024/05/daisen-nishisenboku-kokoroyari2023-6.jpg)
コロナ禍以降は公民館部分(元職員室)しかほとんど使っていないらしく、校歌の隣には保育園閉園式の次第が貼られたままになっていた。
嵯峨会長曰く、全盛期は学年2クラスで30人在籍していた頃もあったという。自身の学年は17名で、小学校の途中から本校(土川小)に通うことになったが、冬期間に宿舎を利用できたのはここより奥の集落の児童のみだったらしく。5km以上の道のりを毎日歩いていたそうだ。
![心像 比較](https://do-inaka.info/wp-content/uploads/2024/05/img20240503171942314.png)
1970年代と2018年の地図を比較してみる。十字部分が2階建ての校舎で、左上にあるのはプールだという(今は敷地内に枯れた小プールがある)。
そこを起点に給食室と用務員室が隣接し、通路を挟んで教員用の宿舎があったという(当時は車文化や公共交通が発達していないため)。校門部分にも階段ではなく急坂で上がることができたようだ。
ちなみに、役員会で話を聞いたところ一部の住民は「俺は勉強ができなかったから教員宿舎に連れられてマンツーマン指導を受けた。」とトラウマを笑い話のように語っていた。
教員宿舎は集落との交流会場ともなっていたため、学校がただの教育機関ではなく地域コミュニティの核を担っていたことがよくわかる。少しだけ山奥にありながらも、立派な校舎を残したいと思う住民の感情は容易に一致したことだろう。
![イーストモール](https://do-inaka.info/wp-content/uploads/2024/05/daisen-nishisenboku-kokoroyari2024.jpg)
そして重要なのは、心像グッズがグランマートで購入できるようになったことだ。
大仙市のイーストモール(戸蒔字錨77-1)内おみやげコーナーに設置されるという太っ腹待遇だ。
まさにシン・秋田土産。令和の時代に心像小はリザレクションを放ったたのである。
このほか道の駅きょうわでも販売をスタートした。近くに寄らずとも買いに行くべき逸品だ。