小坂町営あけぼの住宅(こさかちょうえいあけぼのじゅうたく)

他を寄せ付けない存在感。
About 小坂町営あけぼの住宅
秋田県鹿角郡小坂町小坂鉱山尾樽部にある南北に分かれた集合住宅群。町の中心部から道の駅「こさか七滝」や十和田湖に至る秋田県道2号線「樹海ライン」の道中にある。…とみせかけて樹海ラインから微妙にズレた場所にあるため、初見訪問時は見つけづらい。カーナビの場合は絶妙な住宅密集感を見逃してはならない。
スポット評価
終末度合い | 23 |
訪問難易度 | 15 |
観光地要素 | 2 |
化石的価値 | 14 |
総合評価 | 54 |
わずかながら人が住んでいるものの、場所も相まって終末度合いはピカイチ。しかし全く持って観光向きではなく、狭い道路には野良猫がひしめき合っている。潰したいんだか残したいんだかさっぱりわからない作りには思わず首をかしげてしまう。ただし一応児童公園的スペースもある。
特徴
当サイトでは初登場となる小坂町だが、紹介するのはもちろん明治の芝居小屋「康楽館」や近代化遺産「鉱山事務所」ではない。そこはもう観光客の方が行けばよろしい。
ご存じない方向けに説明しておくと、秋田県小坂町はその昔一世を風靡した鉱山集落のひとつ。明治初期には県内初の電気インフラ整備を達成し、お祭りには所狭しと凶暴な電球が並べられたという。しかし現在は過疎化の一途をたどり、昭和中期から現在にかけての人口減少率(-50%)は県内一を誇る。

明治の芝居小屋「康楽館」。復元無し+現役の小屋としては日本最古の代物。
それでも黒沢地区などとは違い、往時の賑わいを深く知れるだけでもありがたいことだ。
近年では旧小坂鉄道の駅を活用した「小坂鉄道レールパーク」がオープンしたことで、にわかに鉄ヲタの皆さんの人気を集めつつある。なかでもかつての寝台特急「あけぼの」に宿泊できるサービスが人気で、空知らぬ雨はいつしか止み、新たな興行が始まろうとしている。

※南あけぼの住宅7号棟
しかしながら、もうひとつの「あけぼの」も見逃せない。
メイン集落の小坂鉱山地区から東に500メートルあまり、小高い丘に隠れた曙は足にダメージを食らい、リングに倒れこんでいた。(参考:2003年大晦日のK-1)
北あけぼの・南あけぼの住宅は小坂町に9つある公営住宅のうちのふたつで、総戸数は北が128戸(1957~1962年に建設)、南が112戸(1963~1971年に建設)と県内随一の規模を誇っている。使える戸数は不明。

北端には給水塔らしき建造物も発見。奥は一般の住宅(管理人か?)
小坂字細前田の住宅群や細越の住宅群と比べるとかなり古い。ほぼ同時期の建築(1966~1970年)である「つつじ平住宅(荒谷字上ノ平、堤ノ平 )」と比べてもその劣化具合は著しい。死んで花実が咲くものか。
小坂町の公的資料(リンク先pdf)を覗くと、平成21年度までは入居募集を受け付けていたらしい。マジすか… そして平成26年の段階だと入居可能な部屋は全240部屋のうち153(入居済は76部屋)。マジすか…(2度目) ちなみにかつてはバスも通っていたようだ。
ただし北あけぼの住宅の平均家賃は1,800円…安い。そして驚くべきことに、資料には「住
棟ごとにすべて空家になった時点で取り壊している状況にあります。」とある。
つまり資料ベースでは、「現存している住宅はすべて現役」ということになる。
南あけぼの住宅の一部を除いては修繕も政策的空き家を推奨しているので、現在の住民がいなくなればこの風景も亡くなってしまうということだ。

小坂鉱山事務所(博物館)。どうか町営住宅のことも記録してください。
そう、15年ほど前に取り壊され、歴史の闇に葬り去られた「朝日が丘鉱山住宅」を忘れてはいけないのだ。
樹海ライン沿いにあった200戸を超す巨大団地(廃墟)は、今の時代に残っていれば貴重な鉱山資源として再発掘できたかもしれない。もはやわずかなWEBサイトの訪問記録や航空写真でしか生き様を知ることはできなくなってしまった。だからこそ次の文言に注視したい。
政策空き家と位置付けられた住棟については、住民からの指摘や日常的観察により居住の可否
を判断する必要があります。 (「小坂町公営住宅等長寿命化計画/小坂町/平成26年3月」より抜粋)
…1人でも多く目に焼き付けておけ、あけぼの住宅の激声を!!!!!焦土に帰す前に!!!!!
はじめまして。
私はあけぼのの育ちですが、あけぼのに住んでいる人はほぼ高齢者なので後、10年から遅くても15年くらいで多分消滅してしまいます。
私は母子家庭でしたがここにいるお年寄りに沢山助けられてきて思い出深い場所です。
少し前までは町のお祭りにも参加していて町内として頑張っていましたが高齢化が進みできなくなってしまいました。
町も取り壊したいけど身寄りのないお年寄りを追い出すわけにもいかずそのままの所が多く、お年寄りも死ぬまでここにいたいと願う人ばかりです。
私自身ここがなくなってしまう事が寂しいですが、帰るたびに少しずつ取り壊されているので仕方がないのかと思います。