上小阿仁村立沖田面小学校中茂分校 (なかも)
About 上小阿仁村立沖田面小学校中茂分校
秋田県北秋田郡上小阿仁村沖田面(おきたおもて)中茂にある廃校。1985年に閉校し、当時の校舎がそのまま残されている。長らく自治会館として利用されてきたが、居住者の減少により使われなくなってしまった。
スポット評価
終末度合い | 20 |
訪問難易度 | 23 |
観光地要素 | 20 |
化石的価値 | 25 |
総合評価 | 88 |
4年越しの情報更新によりまさかの高得点をたたき出した。今回特別な許可を得て、校舎の内部に入っての撮影が可能となったため、集落を取り上げたページから独立しての掲載となる。
上小阿仁村立沖田面小学校中茂分校のさじなげB級ポイント
役場を通じて自治会長の許諾をいただいてから2週間が経過し、委員一同は興奮を抑えきれずにいた。「廃校の内部に潜入する」という新たな局面への突入を感じるとともに、村議会選挙への立候補も辞さない構えを見せ始めていた。
しかし現実は甘くなかった。7月中旬に秋田県を襲った記録的な大雨被害の影響により、入口手前には悲劇的な光景が待ち受けていたのである。
2023年7月末、中茂集落は孤立していた。
最も手前にある橋が、沢の増水によって流されて消滅していたのだ。工事関係者は妙ちきりんな視線を注ぎこみ、一緒に訪れていた多田野村人氏も「まさかこうなっていたとは…」と驚きを隠せない様子だった。
その先でも更に崩落があったのだが…これは昨年秋の大雨被害によるもの(予算不足+地盤が強固で修繕困難)。
つまり夏の炎天下を、3キロ半歩いて集落へと向かうこととなった。役場も被害対応で忙しく、この惨状を伝えたのは我々が第一号となる。しかし本題はそこではない。ここからも撮れ高満載だからだ。
ムラ最奥の希望
上小阿仁村立沖田面小学校中茂分校は1923年の開校、1985年に2名の児童を残して閉校した。
文部科学省が定めた「へき地等級」では6段階中のレベル5を誇り、2023年現在東北では存在しない環境下の学び舎だった。これは阿仁鍵ノ滝と同等の難度で、校舎が現存しているへき地校舎としては県内唯一の逸品となっている。しかしながら、当然の如く村のHPには掲載されていない。
1960年代の中茂集落を見てみよう。
かつては五城目に至る旧道(285号線できる前の主要道)で、戦後の最盛期には13戸が暮らしていた。林道の保線事業所や営林署事務所なども設置されていたという。
よく見ると、神社(中央左下)から鉄道用電波塔(左下)に至る道路もありそうだ。
1977年までは未舗装の過酷な道のりであり、令和に入ってから歩いて通行する未来があるとは思わなかった。
そしてその中(渦中)にいるとも思わなかった。木造校舎には当時のまま、美術資料や百科事典が触られないで歳をとり続けていたのである。
一番目立つ場所には、集落と秋田赤十字病院の方々で作った手形の木が飾られていた。
2023年5月以降1世帯2名となった中茂集落だが、その手はまだ色鮮やかだった。
貴重な鍵開けに心から感謝したさじなげ委員一同に、住民の方は「いいから持っていけ」と畑で採れたトマトを渡してくれた。
口惜しい去り際に、「後ろの建物は今年(雪)耐えられないだろうなあ」と語っていた。
ここは1982年に作られたしめじ加工施設(80年代後半に廃業)で、5年ほぼ前に雪で事務所部分が倒壊してしまった。
ヒトは力強く生きるかもしれないが、その周囲は変化を止めることができない。
孤立状態は7月末に解消されたものの、我々はまた足を運ぶことになる。中茂には人間の心意気だけではなく、いち集落の迎える人生が陰りつつあるからだ。