湯瀬温泉稲垣アパート ~ナンセンスの化身~

湯瀬温泉稲垣アパート(ゆぜおんせんいながきアパート)

湯瀬温泉稲垣アパート 全景

恵まれた自然、恵まれたナンセンス。

About 湯瀬温泉稲垣アパート

秋田県鹿角市八幡平(はちまんたい)湯瀬湯端にある集合住宅。おそらく秋田県最東端にあるアパートで全4戸。鹿角市周辺の不動産を散策したが、情報が出ていないので2018年夏現在満室とみられる。正式名所は「稲垣アパート」だが、しっくりこないので当サイト上では地区名の「湯瀬温泉」を追加している。

スポット評価

終末度合い23
訪問難易度19
観光地要素20
化石的価値24
総合評価86

東北屈指の名湯エリアだが、建物は巨大ホテルの後ろへ完全に隠れている。そのため観光客がその存在に気づくことはほぼない(アパートなので当たり前だが)。しかしそのデザイン性は温泉郷ひとつをもひっくり返せるほどの無限なポテンシャルを秘めている。後世に残すべき素晴らしい産業遺産である。

特徴

鹿角市湯瀬地区は1770年頃から村がひらけていたとされ、当時から岩手と鹿角を結ぶ中継基地的な扱いを担っていたという。

しかし、大滝温泉のように昔ながらの旅館が何十件も並んでいたわけではなかったらしい。

観光客で賑わう温泉も、明治のころは旅館がただ一軒、馬方やわずかに往来する旅人、あるいは農閑期にやってくる湯治客だけであった。 ※参考文献:「各駅停車 全国歴史散歩 秋田編/秋田魁新報社/1978」

湯瀬温泉稲垣アパート 駅前

湯瀬のローソン」こと上の湯商店。歴史の深さが違う。

本格的なホテル建設は駅ができた昭和6年(1931年)以降の話。旅館の五代目である「関直右衛門(せきなおえもん)」が建設を推し進めたものであり、その先見の明は見事に当たることとなる。

彼はのちにあの玉川温泉を急成長させる立役者となるのだが、その経営手腕にも優れていた。SNSでの発信など到底ない時代、彼は都会の著名人を招き入れることによって「草の根運動」を展開したのだ。

 

その証拠に、当時の県の広報誌では『アサヒグラフ』創刊に携わった「杉村楚人冠(すぎむらそじんかん)」が招聘時に落馬し、1週間ホテルに宿泊したことで一躍湯瀬の名が知れたと記されている。

天下の《アサヒグラフ》に、まして馬場恒吾(評論家・元読売新聞社長)をして〈新聞記者で名文家は結城礼一郎(国民新聞社会部長)と杉村楚人冠の二人で、ことに随筆・旅行記では楚人冠に匹敵する者なし〉とまで言わしめた、その人の長文の紀行文が何度も掲載されたのだから、世間が耳なれないこの地名に注目したのは当然のことであった。 ※あきた(通巻119号)1972年(昭和47年)4月1日発行より抜粋

湯瀬温泉稲垣アパート 湯瀬ホテル

「杉村さん、あざっす!!!!!!!」

まさに煽り全一。「記念すべき大恩人」によるラッキーパンチがさく裂したのだ。世の中何が起こるかわからない。地区ひとつの発展にすら偶然のチャンスが眠っているのだ。

物語の主役となった「湯瀬ホテル」はランドマーク的存在で、川を挟んで宿泊施設と温泉が分かれているという珍しい造りをしている。露天風呂からゼロ距離で臨む米代川はまさに秋田が誇る絶景のひとつだ。

 

googleマップを大きく引いてもらうとわかるが、湯瀬地区一帯は現在5つの宿泊施設と50世帯ほどがひしめく小さな集落で、周辺を広く山林で覆われていることがわかる。鹿角市八幡平から向かっても車でガケ沿いを10分ほど進んだ先にあるため、まさに「隠れ里」と呼ぶにふさわしい場所なのだ。

そしてそこに隠れているかくれんぼの天才こそが、本日の湯瀬組トップスターだ。

湯瀬温泉稲垣アパート 冬

稲垣くんの冬。

 

あまりにも不釣り合いな2枚の洋風ドア。丸見えの階段。曲がったアンテナ。モダンなカラーリング…どれをとっても天才の所業としか思われない。これこそ東北屈指の「インスタ映えスポット」。

渓谷から流れ打つ水流のせせらぎは季節の移ろいを感じさせ、文明の音ひとつ感じさせないほどのマイナスイオンが我々を包み込んでくれる。井戸端会議をするおばあさん一人一人が小野小町かのように艶やかだ。

湯瀬温泉稲垣アパート 米代川

建物向かいがすぐこの景色。一部は温泉になっている場所もあるとか。

360度自然に囲まれたこの物件で過ごす日々はまさにWonderful Life。ゴローちゃんも納得の世界にひとつだけスポットだ。実際周辺で見かけた人は全員お肌がキレイだった。確実に花。

たとえ場所は小さくとも、魅力は十二分に詰まった湯瀬温泉エリア。宿泊だけじゃ勿体ない。

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