秋田県立矢島高等学校笹子分校 (じねご)
About 秋田県立矢島高等学校笹子分校
秋田県由利本荘市鳥海町下笹子長畑野にある学校跡地。1999年10月に閉校し、敷地一帯は更地となっている。石碑だけが残り、往時の姿はわずかにしか感じられない。
スポット評価
終末度合 | 16 |
訪問難度 | 13 |
観光要素 | 10 |
化石価値 | 13 |
総合評価 | 52 |
画像資料が少なく、現役世代はあの頃を思い出そうにも思い出せなくなっている。石碑の足場も風化が進み、あまり管理されていないようにも見える。
秋田県立矢島高等学校笹子分校のさじなげB級ポイント
県内イチの進学校秋田高校の現校長は、ここで教員生活をスタートさせたのだという。秀麗無比なる大平山ではなく、鳥海山だったとは。けだけみが過ぎるのではないか。
元となる矢島高校も今では廃校の危機にあり。2クラスで中学合同の厳しい状況に置かれている。
笹子観光の基本となるほっといん鳥海、またしてもやってきてしまった。
西久米分校や上椿分校はもちろん、坂の上の笹子小学校や場末なAコープはもはや見慣れたものだ。
そこからわずか徒歩5分の好立地でありながら、雪深い笹子の地に校舎はいなかった。
高校の分校は本当に資料が少ない。この機会に高校教員にでもなったほうがいいのだろうか…。
おいしさそのまま大減量
秋田県立矢島高等学校笹子分校は1951年に定時制として川内分校と共に開校した。矢島方面に近い川内は1971年に閉校したが、笹子は本校まで22km以上あるため、1999年まで持ちこたえた。
1975年からは全日制の学校となり、1970年代の航空写真からも立派な校舎が確認できる。
当時の校舎南側付近の様子である。道路より少し高くなっているが、基礎の類すら見当たらなかった。
ネットに残る記述は1981年の駅伝大会に出場した記録のみである。小さな記述も資源に違いない。
唯一現地に残る石碑の裏には、その歴史が詳しく記されている。これが閉校前に建てられていることは素晴らしい限りだが、現状を比べるとあまりにも寂しくてならない。
『笹子分校は、地理的条件に恵まれないこの地の子弟に…(中略)…農業科・家庭科笹子分室として開設され…巣立つ者831名…半世紀にわたる同窓生の汗と青春の歴史がこの地にある。』
閉校行事実行委員会(1999年10月23日)