田村鉄工株式会社 再訪

田村鉄工株式会社 ~廃墟界のアーティスト~

田村鉄工株式会社(たむらてっこう)

田村鉄工株式会社 全景

About 田村鉄工株式会社

秋田県大館市岩瀬大柳にある廃工場跡(写真は事務所跡)。明治初期に田村松助によって広く知られるようになり、東北屈指の大工場と呼ばれていた。2001年に廃業した後は敷地の活用方法が決まらないためか、建物がほとんどそのまま残されている。

スポット評価

終末度合い 21
訪問難易度 10
観光地要素 14
化石的価値 22
総合評価 67

数年前に作業場は解体されたというが、事務所跡とされる洋館だけでも存在感は十分。旧道沿いだが、周辺の視界が開けているため訪問は容易。自然に還りつつあるその姿には随喜の涙すら覚えてしまう。

田村鉄工株式会社のさじなげ的B級ポイント

大館市旧田代町はかつて鉱山資源と林業で大いに栄えた地域で、戦前戦後を通して鉄道による木材輸送がまちの経済を支えたという。その証拠にまちの中心地である早口駅(有人)は地域住民によってキレイに整備され、よく愛されていることがわかる。

1970年代にはツチノコブームに便乗したのかどこからともなく「北部の山中に金鉱脈がある」という噂が流れ、県内外から一獲千金を狙ったバウンティハンターが訪れたという。(参考:田代町史)

田村鉄工株式会社
比較的大きい早口駅。構内にはふれあい俳句コーナーがあり、「化粧品 高値仕様も 手遅れに」などの名作が軒を連ねる。

田村鉄工株式会社 駅前近くにある役所支所からも昭和時代の力の強さが感じとれる。商店街通りはだいぶ寂れているが、「小間屋明照堂」の銘菓「プリンポッシュ」(クレープ生地の中にクリームとプリンが入っているミニバナナボートような逸品。チョコ味もうまいんだこれが)は忘れずに購入しておきたい。真のB級グルメだ。

ただそんな甘いひと時も、ひとたび早口エリアを出ようものなら鉄山靠が繰り出される。

田村鉄工株式会社 正門

その目立ち方からか廃墟ファンの間では有名な物件で、社名で検索すれば訪問記録を多数見つけることができる。中には建物内に侵入しているサイトもあるが、当委員会は一切不法侵入しておりません。ご安心ください。(※正確には隣の公民館で会合が開かれていて、目線が気になったため)

しかし15年余りしか経っていないとは思われない朽ち果て具合である。人の手が及ばないところでは自然の力はここまで強大なのかと屈服せざるを得ない。たとえば秋田市太平地区にある旧山谷小学校も活用されず解体もされそうにないため、もう10年も経てばこのようになるのではないかと怖い考えがよぎる。

田村鉄工株式会社 手前道路

往時は栄えていたことを忍ばせているのか、現在も跡地前の道路はバス停として利用されている。(※車は公民館利用者によるもので普段はない)。むしろ今では近くにあるラブホテル「王朝」のほうがよっぽど栄えているかもしれない。

時間の経過に長い短いはもちろんあるが、いずれにせよ”止まった時間”を気づかせてくれる名所といえよう。甘菓子を食べる手もすっかり止まり、クリームが溶けかけていた。


【2020/06/16追記】
80年代のゼンリン地図を見ると、当該建物が事務所でありその後ろ10倍ほどの敷地内に工場が建っていたことがわかった。現在草原状態のエリアである。

また、秋田県の戦争遺跡(秋田文化出版)によると「戦時中は魚雷や機関砲の銃身の一次加工製造も行った」とされ、最盛期にはここで1,000人ほどが働いていたという。近代化遺産は令和の時代にこそ再評価されてほしいものだ。

田村鉄工株式会社 その2
田村鉄工株式会社 再訪その1

【追記】
2023年1月末再訪。冬のタムテツも実に美しいものだ。
経年劣化のため割れたガラスも増えていたが、煙突だけは変わらない様子だった。