大張野駅 (おおばりの)
About 大張野駅
秋田県秋田市河辺神内字大仁加羅沢(おおにからさわ)にある無人駅。奥羽本線で通ったことある人は誰しも「いつか降りてみてぇ」と思うであろう空間である。幹線道路から反れており、自然と線路だけが広がりを見せている。
スポット評価
終末度合い | 16 |
訪問難易度 | 10 |
観光地要素 | 07 |
化石的価値 | 15 |
総合評価 | 48 |
電車で訪問できる+基幹都市から近いにも関わらず、気軽に訪問できるB級スポットとして評価が高い。駅からの見た目以上に散策しがいもあり、ウォーキングの名所として活用が待たれる。
大張野駅のさじなげB級ポイント
地名の由来は「大きな原っぱだったから」。大張野地区は秋田市の旧河辺町に位置し、河辺エリアは工芸作家が多いことから芸術の街として地域振興を図っている。陶芸体験もできたりするが当サイトでは総スルーします。
また、食に関しては大張野の”張”を冠した「バリコロ焼き」というB級グルメが存在する。これは大張野地区に養豚場や食肉加工場があることに関係しており、駅の見た目の割には少し行くとトラックの往来も多くなる。
ただし工場が立ち並ぶのは、きずなばしでおなじみの岩見三内エリアに通づる通称「新大張野」(後述する開拓地で現在の大字)であり、当サイトが推薦したいのはスーパー林道以南にある「旧大張野」エリアなのだ。
旧大張野エリアは歩いて1時間程度。大仙市方面に行く際にふらっと降りてまちあるきできるという何とも新設設計なのだ。鳥居がロープで支えられている賽神神社と、7割方地面に侵食されている死にかけの庚申塚という2大観光スポットもあるので初心者にも安心。
「ぐるっと文化財マップ 河辺編」によると幕末の政治家岩倉具視の歌碑「大張野行在所跡」というのが、あるらしいが発見できなかった。
この駅は大正十年に設置された船岡信号場がその前身。昭和四年には大張野信号場と改称、同八年に廃止されたが、同十五年に大張野信号場として復活、同二十五年、地元の要望にこたえて駅に昇格した。(中略)開拓の歴史は、明治と昭和の二つに分けられるが、享保年間(1716―1735)に大張野村として、五戸の開拓農家のあったことが記録に残されている。
各駅停車全国歴史散歩⑥ 秋田編(秋田魁新報社 編/1978)より抜粋
開拓村は名の通りゼロからのスタートのため失敗するケースも多いが、ここは現代に生きる数少ない開拓村なのだ。正式な資料はないが、「旧大張野」は開拓地の台地よりも低地に位置しているため、きっかけの土地だったのではないかと推測している。
【追記】「駅名の由来(秋田鉄道新聞社/1973)」によれば、昭和初期に駅への昇格を陳情したのが大字で言うところの「神内地区(旧大張野と定義している四国、妙見、万事神、大仁加羅沢)」の住民だったとの記述があった。
そんな村民のフロンティアスピリッツを(勝手に)感じられる場所が駅南にある。駅舎から反対側にある大仁加羅沢地区に至るためには、整備という概念をとっぱらったこの橋を通るしかないのである。
ということは一枚目に映っていたおばあさんは…きっとコンドロイチンいらず。
ただし駅舎は2006年にコンテナを利用したものから現在の簡素なものにリニューアルされている。更に昔(引用した書籍)には木造駅舎が確認できる。
それでもここは未だに情緒溢れる大自然の駅だ。かつての賑わいはどれほどだったのか…思いを馳せながら歩いてみると、また見え方も変わってくる。
【追記】
2021年1月再訪問。いつ見ても駅前駐車場が有料なのが甚だ疑問。
工場地帯でもあるため、道中はそれなりに除雪していたが冬来る場所ではない。
【追記2】
2022年10月再調査。河辺町史(1985年)を紐解くと、「1951年に赤平小学校で開業祝賀会を開催した」との記述があった。なお赤平小は2010年に閉校し、現在は障がい者向け支援施設となっている。