男鹿市立安全寺小学校 (あんぜんじ)
About 男鹿市立安全寺小学校
秋田県男鹿市北浦安全寺供養塔台にある学校跡地。1987年に鹿山小学校(2001年北陽小学校へ統合)へと統合された。現在も校舎の一部が残り、公民館として利用されている。
スポット評価
終末度合い | 16 |
訪問難易度 | 14 |
観光地要素 | 18 |
化石的価値 | 17 |
総合評価 | 65 |
棚田の情景に学校が茂っていた。味のある地名と共に、その姿は末永く保たれてほしいものである。思い出は担保されないが、勝手に気分が高揚してくる場所だ。
男鹿市立安全寺小学校のさじなげB級ポイント
行ったことがある場所の廃墟や廃校を見逃していたときほど、口惜しいことはない。
皆さんにも思い当たる節があるはずだ。大丈夫だと思っていた人間が果てていく姿を。己の審美眼には穴があるということを、いつも刻み込むべきだということ。
男鹿駅前のシンパシー、「ホテル諸井」は脆く生き残っている。twitter上に明治の旅館時代の画像があがっていたが、真相は確かではない。視界に見えるカーテンは重く儚い。
羽立から北磯小に向かう道中。なまはげラインがなかった時代の旧道はいかに苦労だったことか。
集落を望む橋から安全寺を望む。撮影スペースが欲しくなるのは時代の妙である。
最も左にある青い屋根が学校だ。市内で二番目に古い学校として、記憶をいまに届けている。
ときには寄り道するのも悪くないだろう。そう思って入る道路こそ、本筋なのかもしれない。
緑にもゆる新山をあおぎ
男鹿市立安全寺小学校(手前左の青い屋根2つ)は1875年の開校。
現在残るのは手前が音楽室、奥が校舎入口の一部分となっている。また、石碑も建てられている。
1970年の航空地図には、昔ながらの道路だけが残されている。
横長の校舎があることも確認できる。比較的大きな建物だったようだ。
離れの音楽室は倉庫になっている。偉人たちの色あせた写真は実に奥ゆかしい。
サイズが保存するのにちょうどよかったのだろうか。地域の実情に合わせた規模感といえる。
もちろん中には神様の面が飾られている。これこそ使用感を増した本来の姿だ。
若干生首にも見えるのでかなりのインパクトである。安全寺だけでも十分満喫できる男鹿の力よ。