比内町立東館小学校第一分校 (ひがしだて)
About 比内町立東館小学校第一分校
秋田県大館市比内町味噌内鬼ケ沢10にある学校跡地。1981年に閉校し、校舎は2000年代初頭に解体された。現在は敷地内に「比内公民館味噌内分館」が建てられている。
スポット評価
終末度合 | 13 |
訪問難度 | 10 |
観光要素 | 11 |
化石価値 | 14 |
総合評価 | 48 |
東館小学校は2023年でも現役で、割付ごちゃごちゃのHPの割には息が長いことがわかる。しかしここの存在を学ぶ機会は設けられていないことだろう。周囲に看板や史実を記すものはない。
比内町立東館小学校第一分校のさじなげB級ポイント
恐ろしいことだ。小賢しいインテリが囁く「秋田の魅力を再発見」という妄言を、我々は非現実的な提言だと嗤い転げていた。
類まれなる圧力は、この町が生き急ぐのを速めているようだった。元来ジョークサイトとしての我賞めを振りかざしていた我々こそが、その足元を見れていないのだ。
天下の国道285号から分離し、廃村柄井沢や大葛温泉方面へ向かう道路へと入る。かつて鹿角でこびへつらえていた頃は、鹿角八幡平(曙)に至る最短ルートとしてごく稀に使っていたのを思い出す。
絶望的にダサい比内中学校から南に1kmあまり、小さな学校跡はその歴史をわずかに残している。
砂利の合間に真新しい公民館が出来ている。外側から散策したが、内部に当時の写真や資料などは残ってなさそうだった。
いつか使えるコンテンツになる日が来ると私は信じているものの、掘り起こす人間がいない限りは光の当たることもない。仕方ないので黒ヤギがネットにお手紙を書いているのである。
あの時を越えて
比内町立東館小学校第一分校は1901年に独鈷小学校味噌内分教場として開設、1926年に分校扱いとなり、1957年には新校舎も建築された。1981年の閉校時は、奇しくも創立80周年記念式典も執り行われた。
統合先の東館小HPには、そんな分校の歴史も掲載されている。ダサいのに素晴らしい取り組みだ。
公民館の裏には、学校であったことを匂わせる石段があった。基礎らしきものもある。
ここはおそらく1967年に増築された体操場の跡ではないかと思われる。
校門の柱は1928年に作られた由緒正しいもので、これだけは当時のままだ。
学校の手前には校舎敷地より大きな農村公園があった。よく遊ばれたことだろう。
周辺は町中にも近いため、閉校時は1,2年生のみの利用でも30名の所属があったという。
当時は宿内スキー場(現大館カントリークラブ?)があり、子供たちは度々課外授業に出かけていたとのこと。それも現地ではわからぬままだ。
フィールドワークするだけはわからないことが、随分増えてきたことに怖さを感じてるのは我々だけだろうか。