マインロード荒川 (あらかわ)
About マインロード荒川
秋田県大仙市協和荒川にある観光坑道跡。内部坑道崩落の影響で2007年に閉鎖され、周辺に整備されたキャンプ場ももぬけの殻となった。元々は300年以上の歴史を持つ鉱山集落で、最盛期は4,000人以上が住んでいたとされる。
スポット評価
終末度合い | 20 |
訪問難易度 | 16 |
観光地要素 | 18 |
化石的価値 | 17 |
総合評価 | 71 |
観光地として整備されたのも束の間、ここ数年で草木が生い茂り退廃が進んできている。敷地内はサーキット場のみが現役で残るため、近年は陽キャの集う場所として変革を遂げている。
マインロード荒川のさじなげB級ポイント
秋田県内には鉱山集落が数多く生まれたが、内部を見学できるのは史跡 尾去沢鉱山(旧マインランド尾去沢)のみとなってしまった。
平成期には院内銀山が心霊スポットと持ち上げられ、ほか鉱山地帯は存在していなかったかの如く知名度の低迷が著しい。
協和~角館の中間に位置するマインロード荒川は主要道からも近く、90年代の観光雑誌には秋田厚生年金休暇センター、あきたこまちの手作り体験工房、ポートタワーセリオンと並んで新進気鋭の観光地として大々的に取り上げられた。
左から伸びる道が荒川鉱山(百目石坑道)への入口だ。1940年の閉山から50年の時を経た93年にオープンし、リゾートエリアとしての再興を図ったものである。
しかし集落手前に墓地がそのまま残るストロングスタイルはファミリー受けが悪かったと記さざるを得ない。少年時代の我々がそうだったからだ。
往時には康楽館同様の娯楽施設もあったというが、建物はひとつも残っていない。
ネット上に訪問記もいくつかあるが、2020年現在案内看板も色あせて確認が難しくなっているほか、一部施設(学校跡地)などは草木が生い茂り道中も封鎖されている。
子だくさんの鉱夫の生活は苦しかった。夜逃げをしようものなら鉱山や飯場では半鐘を鳴らし、山狩り人夫を集めて逃亡者を捕らえた。このためか鉱夫は荒川鉱山をカンゴク山とも言った。
協和町の鉱山/1994/無明舎出版 56ページより一部抜粋
当時の行政広報誌では坑道内部の画像を見ることができる。謎の照明が時代を感じさせ、別施設ではなく内部に展示物を置く強硬姿勢を是非ご覧いただきたい。
閉館後、展示設備たちは集落手前の「大盛館」に移設された。現在も閲覧可能なため併せて訪れたい。
また、荒川地区の手前には宮田又鉱山(1965年閉山/上画像が入口)があるが、跡地はおろか人家の面影も感じられない原野に戻っている。どちらも無きものとされるが、教育委員会によって建てられた案内看板(閉山・閉業した旨)がある。