花輪鉱山 サムネ

花輪鉱山女平集落 ~歴史と地図から消えたムラ~

花輪鉱山女平集落 (おんなだいら)

花輪鉱山 入口

About 花輪鉱山女平集落

秋田県鹿角市花輪鎌柄沢にある鉱山集落跡地。坑道入口が残るほか、集落跡地には産廃処理施設が建てられている。一般人が通行するエリアではなく、人間が住んでいたとは思えない。

スポット評価

終末度合23
訪問難度25
観光要素20
化石価値23
総合評価91

1年半ぶりに90点台をたたき出す物件が現れた。鬱蒼とした茂みに隠された骨壺は問うに落ちず語るに落ちる。21世紀にして本当に消された集落があるとは思わなかった。柏木森とはワケが違う。

花輪鉱山女平集落のさじなげB級ポイント

1986年9月、その鉱山は閉じられたという。干からびた書籍から事実を知った我々は80年代の地図を開いたが、いくら見ても鉱山の名前が見当たらないのである。

それどころか、80年代前半の地図では建物すら無い扱いになっている。一体どういうことなのか。

八幡平市安代

その道中は大変面倒だった。岩手県側からの訪問となったからだ。

花輪スキー場から山を越えると辿り着くこともできるが、道が狭くイカれたバイク乗りでもなければオススメできない。そもそも訪問は勧められる場所ではない。

鹿角市女平

岩手県側を中心に作られた鉱山街をわずかに感じる道路を13km進むと、不穏な県境が見えてくる。未だかつてここまで入りたくない秋田県入口があっただろうか。

だが入るしかない。そこを境にゴミが増えているあたり、文化圏は安代町だったことだろう。

硫化群落の毒沼

花輪鉱山
渓流

花輪鉱山は鹿角市と八幡平市(旧安代町)にまたがる鉱山地帯で、市史によると「採鉱事務所や採鉱区が花輪、鉱山事務所と選鉱場が安代町にあった」という。

全盛期(1950年代)には400人を越す従業員を抱え、硫化精鉱産出量(銅・ニッケルなどの金属と硫黄が結合した鉱石)の産出量が全国第8位だったという。1910年代には発見+開発に向けての動きがスタートしており、田山駅から日立精錬所などに運ばれていった。

花輪鉱山

1970年代の地図には、全46戸あったとされる社宅が確認できる。しかし前述したとおり、ゼンリン地図ではその四角ひとつ確認できなかった(安代町地図でも確認できず)。

70年代後半から80年代前半にかけて跡形もなく解体されていれば筋は通るが、海抜700m近い採鉱事務所まですぐに更地となるものだろうか。

橋

それでも、ほたえ死んだあざとい無機物がこちらを見ていた。

花輪ばやしなど聞こえやしない山奥で、未だ知らないカヅノが出迎えている。

花輪鉱山 坑道
遺構

本当に僅かな、しかし巨大な遺構である。ここで働いたことがある人物もまだ生きている時代だとは、決して思えない。産業が育ち、数百人がいたとも感じることもできない。

それでも大量の水が橋の脇から流れ出ている。確かにパイプから流れ出ているのを、ハッキリとその目で捉えた。静かじゃないのに怖いのは久々の感覚だ。

坑道入口

本物件を調べるために鹿角図書館と岩手県立図書館にも足を運んだが、集落に関する記述は見当たらなかった。

旧安代町側には1976年まで花輪鉱山小学校が開校されていたため、社宅に家族がいた場合はそこに子供を通わせたと考えられる。わかることはそれだけで、鉱山資料にも鹿角市側の社宅に関しては記されていなかった。ここは本当に秋田県鹿角市で、本当に人間が住んでいたのだろうか…。

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