院内銀山 (いんない)
About 院内銀山
秋田県湯沢市院内銀山町にある集落及び鉱山跡地。1954年に閉山し、全戸が離村した。現在も遺構や墓石が残り、県内随一の心霊スポット扱いされる鎮魂の本拠地だ。
スポット評価
終末度合い | 25 |
訪問難易度 | 25 |
観光地要素 | 20 |
化石的価値 | 17 |
総合評価 | 87 |
さすがにおちゃらけた場所ではないことくらい、無知な秋田の権力者たちもわかっていることだろう。ここに漂う”重み”は現在の町とはいたく乖離している。その本筋を詳らかにしていく。
院内銀山のさじなげB級ポイント
彼はいつもむせび泣いている。男鹿プリと肩を並べられ、長らく肝試しスポットとして足繁くかわいがられてきた。
銀のエンゼルは人間を引き寄せる魅力があるのだろうか。湯沢から鳥海町笹子に至る県道108号線の最中に入口があるわけだが、見るだけで下手なことができないとわかるはずだ。
何度撮っても写真がブレている。5月に入ったというのにまんまと雪が残り、地区の厳しさを感じさせる。その分噴出する力は群を抜いていたことが頷ける。
がらんどうな入口には一応看板も確認できる。しかし控えめなアピールには十分な理由があり、観光スポットとして扱うにはあまりにも無理がある。
入口には丸みを覚えたデフォルメ地図があるが、こんなのは嘘っぱちだ。
当然建物2棟はありもしない、道路はまっすぐではない、見栄えはよくない。
300年を越える歴史は型にはまりやしない。だからこそ知った上での侵入が急務なのだ。
東洋一の大銀山
院内銀山は1607年に開山し、佐竹藩直営の銀山として何度も日本一の産出量を記録したメガ銀山である。1833年~1843年には当時の秋田市を越える15,000人以上が従事し、一大都市として発展していた。
その銀は大将軍徳川家康にも献上され、明治14年(1881年)にはその功績を聞きつけた明治天皇も御臨幸され、日本最大の産業地帯として認知されていた。
豊富な資源を有効活用するため、銀線細工が発展したことも納得である。
入口(詰所)の隣には異人館の基礎が残されている。阿仁異人館と同様に、ドイツ人技師用の洋式住宅も建てられていたのである。もちろんその名前は、当時の外人が異質な存在であったことを揶揄している。それでも裕福な生活が約束されていたから問題なかったのだろう。
その後鉱山所長宅となり、大正末期からは銀行として使用されていたという。
少し進むと、三番共葬墓地という場所がある。ここには院内銀山で命を落とした数千人が眠っている。
文字が読めなくなっているものも多いが、時代の異なる数百年前の墓が立ち並ぶ姿はあまりにもショッキングである。人間がいた時代、無念にもここへ埋葬する姿を我々は想像できるだろうか。
googleマップに残る森の中の地名は、すべて存在した集落の灯だ。
院内駅2階の銀山資料館には、当時の歴史や出土品が詳しく展示されている。坑道跡は是非現地でも確認していただきたいが、時期と行政の気分によって封鎖している場合があるので要注意だ。
ちなみに撮影時日が落ちて暗くなってしまったため、翌日改めて奥まで訪問しようと試みたところ、いつの間にか入口にロープが張られていた。
労働者たちは空から我々を見ていたのだろうか。悪気はないので再入山を希望する。