大仙市立稲沢小学校 (いなざわ)
About 大仙市立稲沢小学校
秋田県大仙市協和稲沢堤ケ沢出口6番地にある廃校。2008年の統合により、ほか5校と共に(新)協和小学校が誕生したためお払い箱となった。しかしある問題により、現在も時空の狭間を漂い続けている…
スポット評価
終末度合い | 15 |
訪問難易度 | 12 |
観光地要素 | 14 |
化石的価値 | 24 |
総合評価 | 65 |
物流道路沿いではあるものの、市街地からはだいぶ離れているせいか退廃が進んでいる。一見するとよくある見捨てられた廃校の風景だが、後述する理由により保存価値が爆上がりしている。
さじなげ的B級ポイント
大仙市稲沢地区は隠れ金持ちが蔓延っているが、ヤリチンには変なコンビニしか見えないのでまだまだ評価が足りないスポットのひとつだ。
沿線は古くから協和~角館間の車移動ルート(大曲を経由しないため)として重宝されており、冬には納得のイルミネーションが高所得スプラトゥーンとして心の奥底を染めに来る。それでも通れば満面の笑みに溢れるのである。
画面左にある公衆電話から左折すれば稲沢集落に入りやすい。手前には郵便局もあるので訪問はいたって容易である。また、角館側からは自販機コーナーの脇道にそれるだけなので非常にわかりやすい。
沢地名は川のことを表しているため、周辺は高さのある田園と清流のコントラストフェスが開催されている。これは廃墟散策のおもてなし万全といえる。さて、本題に入ろう。
旧稲沢小学校の歴史は1879年と非常に古く、元をたどれば近くの荒川鉱山による栄華にまで遡ることになる。ちょうど国内随一の銅鉱山として産声を上げ始めた頃と重なり、小坂鉱山のようなにぎわい(※現在)を見せたと言われている。
当時の鉱山集落は周辺地域に先駆けてインフラが整備され、祭りの時期には電気をフル活用した盛大な宴が繰り広げられた。掘削従事者を全面的に保養するため、集落には行政施設はもちろん、公衆浴場や演劇場(例:康楽館)が整備された。
解説:委員会メンバーサエモン
もちろん死と隣り合わせの職業のため、家族は出勤前になると日々最期の別れと思い祈りを捧げるのが通例となっていた。
だが本物件の問題は荒れた校舎でも鉱山集落の衰退でもない。学校のホームページでは今もなお、閉校までの日数をマイナスカウントし続けているのである。
しかもアクセスした時点で、1900年の時をタイムスリップしていることがわかる。このページを見ている我々は一体…どこの時空に迷い込んでいるのか…
1940年の坑道閉山、2008年の閉校を潜り抜けたはずの学校は本当に存在していたのだろうか?我々は禁断の世界を知ってしまったのかもしれない。
【追記】
2022年秋再訪。校舎裏から眺めると、テーマーパーク跡地にも見えてくる。
それでも多くの虫が迎え入れてくれたので、歓迎はされていないようだった。