本荘市立子吉小学校葛法分校 サムネイル

本荘市立子吉小学校葛法分校 ~校舎分身の術~

本荘市立子吉小学校葛法分校 (くずのり)

本荘市立子吉小学校葛法分校 外観

About 本荘市立子吉小学校葛法分校

秋田県由利本荘市船岡横道にある学校跡地。1969年に閉校し、建物は解体された。敷地一帯が残り、ゲートボール場として扱われている。

スポット評価

終末度合12
訪問難度11
観光要素11
化石価値09
総合評価43

分校跡地として確保されているだけありがたいと感じたい。町中を見据える申し分ない距離で、身近に歴史を植え付けてくる座敷わらしスタイルだ。発情しているのは我々だけだろうか。

本荘市立子吉小学校葛法分校のさじなげB級ポイント

見失いそうになっていた。ナイス本荘インター店で食べるラクトアイスは、時に判断を狂わせる。それほどまでに2023年の夏は意識を飛ばそうとしてきたのだった。

まだ若いと言われていた我々の存在も、じきに集落のお荷物になってしまうことだろう。そうなる前に、ガソリンを無駄遣いしなければならない。国連に背を向けながら今日も向かっていた。

偽おもしろ館本荘 入口

…いけない。曲がり道を間違えてエロ自販機に立ち寄ってしまった。当委員会には生憎セクハラ規定が存在しておらず、人並みな欲求すらないのにいやらしいと勘違いされてしまう。

児童と地域の歴史に目を背けるとは何事か。悶々とするアクセルをふかすことで、寂しい毎日を払拭するように我々は再び立ち上がるのであった。

子吉駅と西目駅の繋がらない空白地帯、豊かな農村地帯に学校は建てられていた。

目的地に行くといつも思う。「寄り道ばかりの人生も悪くない」ということを。

無機物の細胞分裂

本荘市立子吉小学校葛法分校 石碑

本荘市立子吉小学校葛法分校は1875年の開設。1909年に現在地に移転され、1949年に体育館が、1962年に給食が開催された。本校までは4kmと近いが、低学年のために配備された学校だった。

僻地というわけではなく、学区の葛法と船岡には60戸近い住民が生活を続けている。

本荘市立子吉小学校葛法分校 公衆電話

一応公園扱いになっているが、公衆電話の中身はスカスカである。

2012年ストリートビューの段階でも空洞であり、残念ながら帰らぬ命となっている。

また、注目すべきはかつての体育館が船岡児童館(上マップ)として、かつての教室部分が玉の池公民館(下マップ)として移築されている点にある。

現在確認できる証拠は少ないが、今シーズン中に調査できればと考えている。

その貴重な史料価値と情報ソース、行政資料にはさっぱり残されていない(学校資料のみ)。

本当なら文化財レベルの保存モノのはずだが、全面戦争は避けたいので当委員会がこっそりネットに記しているのである。つくづく先行研究者である佐藤氏の著書には頭が下がるばかりだ。