相内鉱山跡 (あいない)
About 相内鉱山跡
秋田県鹿角郡小坂町小坂相内にある鉱山跡地。関連施設は全て解体され、入口に石碑と沈殿池などが残されている。周囲は不気味な静けさに包まれており、歴史に影を落とす。
スポット評価
終末度合 | 21 |
訪問難度 | 16 |
観光要素 | 12 |
化石価値 | 13 |
総合評価 | 63 |
いったい何人の男がここに夢を埋めたのだろうか。小坂鉱山に比べて資料が乏しく、現代の森羅万象には場違いと判断されている。
相内鉱山跡のさじなげB級ポイント
2003年、大館市との合併を検討する協議会の貴重なホームページが残されている。そこには小坂鉱山と並んで明記された相内の名があるが、鉱山事務所ではその足跡がほとんど見られない。
現代人は郷土館にまちの全てが収蔵されていると勘違いしがちだ。少なくともそれができて以降の歴史は存在していないかのように煙に巻かれているというのに。
小坂JCT(青森側からは降りれない)近くにある川上小学校(2002年)はいよいよ解体が進み、伝統のプール清掃がどうなるのか気が気でならない。
この奧には目的はもちろん八九郎温泉もあるが、コロナ禍には「町民以外入浴禁止」という厳しい人種差別が行われていた。看板への怒りの落書きはどうなったのだろうか。
入口には不吉な廃屋がうん十年放置されている。段々小さくなる様子を見て町民は何を感じているのだろうか。体が冷えたので温泉に入らせていただきたいものだ。
しかし町民ではないので仕方ない。肝を冷やすべく鉱山跡でも見学しに行こう。
忘れて帰った日
相内鉱山跡は1861年に発見され、しばらくは個人の所有だった。戦後の1950年に大規模開発が始まってから1985年に閉山するまで約3000人が従事した。
周辺には濁った池と石碑しか残されていない。しかし70年代の航空地図を見てみよう。
画像下の三角地帯が石碑のある場所で、その先の建物はすべて解体されている。
山口大学のサイトに残る鉱山の全景はおそらく左側のエリアで、北東部に見えるのは関連従事者の長屋だと思われる。
右側が長屋跡地である。電柱も何もなく、静かすぎて不自然な道路はそこはかとない恐怖を覚えさせる。大きく育った木々は経済活動の消滅を証明している。
石碑付近には木の電柱があったが、それだけは生きているような気がした。
ちなみに、ここでは戦時中に朝鮮人の強制労働が行われていたという。康楽館に血が流れたことも教えてくれやしないのに、町は違和感などないかのようにイルミネーションを強めている。県一番の人口減少率を叩き出す裏には、新たな視点での観光提案も必要ではないか。
そして先日、相内鉱山で働いた経験のある80代の方とお会いすることができた。春にまたお会いする予定ができたので、そのとき聞いてみようか…どうしようか…