院内小学校南沢分校 (みなみざわ)
About 院内小学校南沢分校
秋田県湯沢市上院内南沢にある分校跡。1976年に閉校した校舎がそのまま残り、地区会館として利用されている。県境の沢沿いにあり、透き通った田舎の空間とともにある。
スポット評価
終末度合い | 18 |
訪問難易度 | 16 |
観光地要素 | 19 |
化石的価値 | 15 |
総合評価 | 68 |
廃墟愛好家には銀山のマイナスイメージばかりが列挙されるが、歴史ある鉱山集落の中でも、変化を少なく保つ昔ながらの集落が多く残っている。中でも南沢は代表的な眺望を抱えるが、観光客が訪れることはない。
院内小学校南沢分校のさじなげB級ポイント
世界三大美女「小野小町」の郷として湯沢市旧雄勝町は秋ノ宮温泉郷を有し、県内外から観光客が訪れる行楽地である。
ただ当委員会メンバーはいずれも県北~県央在住のため、なかなか足を運びづらい距離にある。
一般的には院内駅併設の銀山異人館が知られており、リアルすぎる人形と鉱山従事者の先祖を探す全国の子孫が足を運ぶ大人向けスポットである。
近年はまちづくり活動が盛んで、地域紙の編纂や温泉の整備、旧小学校の活用など明るいニュースが増えてきている。
しかしマナーの悪い一部の輩たちは銀山跡地をやれ「県内最怖の心霊スポット」と捲くし立て、遺族と住民の感情を逆なでする行為が後を絶たない。
院内には現在も鉱夫の子孫(孫・ひ孫)が多く住んでおり、いわば巨大な廃村である銀山地区は決して荒らしていい場所ではない。節度を持った訪問を。
南沢地区はかつての銀山地区と深く関わりがあり、2kmほど山道を挟んで隣り合っていた。こちらは川沿いにあり、10戸ほどが生活する昔ながらの集落だ。
行き止まりに開けた盆地の眺望こそ、雄勝が持つ一番の観光資源である。
院内小学校南沢分校はそんな集落の入口に残っている。
学校は1946年に冬季分校として開校し、30年という短命だったが敷地建物はそのまま残る(画像右端)。児童数は概ね10~20名で推移していた。
「秋田・消えた分校の記録」では当時勤務した教師のインタビューが掲載されている。我々は記録を残せる世代ではなくなってきているため、ひとつでも多く歴史を記す資料が増えることを祈っている。当委員会もそのひとつでありたい。
【追記】
2023年末と2024年5月に再訪。集落会長にお会いしてお話を伺った。
まず驚いたのは周辺の木々が伐採されて視界が開けていたことだ。2020年には気づかなかったが、
院内銀山方面に上る山道に神社が残されていた。かつてはそこを登って通勤したという。
少々わかりづらいが、集落奥の林に橋のようなものが見える。
これは固い地盤のため水を通しにくい南沢集落のため、農地奥にある滝から水を運んでいる水路なのだという。もちろん現役とのことでまさかのセルフインフラ設備だった。
集落の最奥にその排水設備があった。作業小屋もあったらしいがかなり前に崩壊したらしい。
画像中央部から歩いて10分ほどの場所にあり、水路は左から弧を描くように集落に続いていた。
かつてはこのあたりに先住民がいて、現在の南沢の人たちは阿仁根子から銀山マネーを目論んで移住してきた人たちなのだという。だから田んぼが少ないわけだ。
つまり、移住して銀山に従事者に生まれた子供たちのためにできた分校だったのだ。
閉山後も黒部ダムや青函トンネルで働き、知られざる功績を残してきた鉱夫たちだという…