ふれあい橋さわめ ~ガラスの青年時代~

ふれあい橋さわめ(ふれあいばしさわめ)

ふれあい橋さわめ 全景
夕日に映える五能の雄。

About ふれあい橋さわめ

秋田県八峰町峰浜水沢字寺ノ後、JR五能線「沢目駅」のすぐ南にある東西連絡通路。駅併設ではなく独立した形で存在していて、その重厚な造りで駅の存在を凌駕している。恐るべきコンクリート和歌集だ。駅は大正15年(1926年)の開業。

スポット評価

終末度合い 14
訪問難易度 9
観光地要素 7
化石的価値 9
総合評価 39

その佇まいは見事だが、このタイプの建造物はまずなくなることがないので化石的な価値は薄いと判断。かつ幹線道路と小学校の隣にあり、利用頻度も高いことからイマイチ得点が伸び悩んだ。ただその大きさから飯田川歩道橋などと比べればインパクトが大きいので少し加点した。

ふれあい橋さわめのさじなげB級ポイント

五能線沿いと幹線道路の国道101号線沿いは視界に入る範囲で集落が点在しているため、見ていて非常にわかりやすい。あたかも見えている集落しか存在しないのではないかという台地軽視をしてしまいがちだ。塙地区のみなさんごめんなさい後日記事書きます。

八峰町旧峰浜村はかつて秋田県イチの馬の産地として知られていたという。ただ戦後は軍馬や馬車の需要自体がなくなっていったため、頭数も減少の一途だったとか。しかしこんな記述がある。

 

馬はいなくなったが、馬産王国の名残りを示す「馬の神社」がある。塙川にある馬頭観音。毎年8月19日に祭典があるが、このお祭り、またの名を「嫁ッ子祭」。村の娘は馬の神様の前に出るため一週間も前から身を清めるが、その間に色白な秋田美人に変身するという伝説があった。 ※「各駅停車 全国歴史散歩 秋田編/秋田魁新報社/1978」より抜粋

 

ふれあい橋さわめ 駅前
※画面奥中央にあるのが沢目駅

色白な秋田美人」と聞いて、我々はすぐさま現地へと向かったのである。

しかしそこには、タネウマライダーも傾城傾国の美女も見当たらなかった。それもそのはず時代の転換期。峰浜村はおろか、「嫁ッ子祭」自体が行方不明(≒調査したが詳細不明)なのだ。この40年の間にいったいなにが…なにがあったというのか…

ふれあい橋さわめ 西口
ふれあい橋降りて西口。奥に見えるのが峰浜小学校だ。

旧峰浜村は、1955年に旧旧塙川村と旧旧沢目村が合併してできた地区。その後八峰町が2006年に誕生している。駅周辺はいわゆる「旧沢目エリア」であり、旧峰浜村の中心地なのだ。ちなみに沢目地名の由来はこの地区にある大字の「水沢」と「目名潟」からとったとされる。

しかし美女はいなかった。よく言う「昔の美女」も見かけなかった。みんな松波苑(特養)に入ってしまったのか? 走れマキバオー、後世のために…!

ふれあい橋さわめ 内部
ふれあい橋内部

けれども事実は事実で 詐 ( いつわ ) る訳にはいかない。そこにふれあいはないのである。

あるのはタバコの吸い殻入れだけだった。我々は喫煙者ではないので、友達になることはできなかった。遠く足を運んだものの、カップル不成立に終わった。心震える狐の嫁入りか。

ふれあい橋さわめ とおめ
東口からの風景。右奥が駅。

ふれあい橋と沢目駅のように、我々と美女の間には絶妙な距離感があるのかもしれない。

恋のかけひきには失敗したくない。だが今回は押しが足りなかったのか。それとも白い大きな鳥にのって、空高く飛び立ってしまったのか。悔しさのにじむ青年の心に、夕焼けは強く突き刺さるのであった。