岩城町立道川小学校君ケ野分校 (きみがの)
About 岩城町立道川小学校君ケ野分校
秋田県由利本荘市岩城君ヶ野角地田にかつて存在した学校跡地。1967年に閉校し、1990年代後半に校舎は解体された。跡地は地域の運動公園扱いだが、荒地となっている。
スポット評価
終末度合 | 14 |
訪問難度 | 12 |
観光要素 | 12 |
化石価値 | 17 |
総合評価 | 55 |
テレビ番組をしのぐ繋がりと出会いの連続により、wikipediaに載っていない物件がネットの日の目を浴びることとなる。
岩城町立道川小学校君ケ野分校のさじなげB級ポイント
道川小学校が小さく微笑んでいる。11年前に終わりを告げた校舎の先に、更なる分校が沈んでいたからだ。我々はこの地にある思い出を秘めており、ようやく光が入り始めた。
2014年の夏、我々は何かに突き動かされるようにコミュニティバスに乗り込んでいた。回転地でにらみを利かせる運転手を尻目に、何もないはずの地へ降り立ったのだった。
「野菜直売所」の看板はすでに読めなくなっていた。当時由利本荘市内では豪雨災害があった直後で、上流近くのこの地を心配しての訪問であった。
ただ貧乏上がりの座組に車などあろうはずがない。しごく童貞の集まりであった。
そのとき見たものは、運動公園とかいう丘が崩れた様子だった。
ただ直す理由を知らずにいたあの頃から10年余り…。それが地域にとって大切な学び舎の住処だったこと。知るためにはそれなりの時間が必要だった。
教えてくれよお前の真相を
岩城町立道川小学校君ケ野分校は1875年に独立校として誕生し、1889年分教場、1892年独立校、1908年再び分教場となってから1967年に閉校するまで常設分校として機能していた。
現在は公衆トイレと物置(地震観測設備)?があるものの詳細はわからない。もちろん岩城小の児童が学習で使うことも毛頭無い。
1960年代後半の航空写真を見ても、校舎が残っていない。閉校後すぐ解体されたのだろうか。体操場は90年代まであったらしいが、木々に隠れてどれだかわからない。
更に由利本荘市内の図書館や、現地の方々に伺っても校舎写真を見たことがないという。そんな中、知り合いを通じて高齢の在住者にお願いし、倉庫を漁ってアルバムを見つけていただいた。
近景なものの、これがインターネットは愚か秋田県に初めて舞い戻った君ケ野分校の姿である。
素晴らしく状態の良い写真をお借りすることができ、委員一同心から感謝致します。
1956年頃の全校集合写真だという。真ん中にいるのが校長先生で、両端を若手教員が挟んでいる。
熱心なさじなげ教徒の方はご存じかもしれないが、分校勤務には基本的に若い先生が選ばれることが多い。これは僻地教育の負担を強いられるためであり、薄給かつ幅広い対応ができる先生を毎年選出(もしくは紹介)するのが難しいことが関係している。
グラウンドからの景色。四季折々の姿を見て子供たちはすくすく育ったことだろう。
車で行くのははばかられる獣道の先には、誰もが忘れたみんなの居場所があった。分校はスクールバスの運行により閉校したというが、閉校時64名いたという子供たちは故郷に帰ってきたのだろうか。
虫たちはその良さを理解しているようだ。カメラを構えてもトンボは飛び立たない。
愛燦燦と輝く君ケ野の地に夕日が刺していた。あの頃から雄和に通じる道路ができていれば、未来はもっと変わっていたのかもしれない。たまに通る車たちは僕らに気づかなかった。