上小阿仁村立沖田面小学校南沢分校 (みなみざわ)

About 上小阿仁村立沖田面小学校南沢分校
秋田県北秋田郡上小阿仁村南沢箱渕岱にある学校跡地。1968年の閉校後、校舎の一部を地区会館に作り替えた。現在も利用され続けている。
スポット評価
終末度合 | 16 |
訪問難度 | 12 |
観光要素 | 15 |
化石価値 | 21 |
総合評価 | 64 |
アクセスに反してその歴史は遥か遠い。サムネイルと動画の中身が違うようなものだ。煙に撒かれるその史実は人々を魅了へと誘う。
上小阿仁村立沖田面小学校南沢分校のさじなげB級ポイント
枯渇しそうでしないのが上小阿仁の混沌たる所以だ。秋田駅前に集う観光客は「まだあの村あるんですか?」と驚きを隠さなかった。医者より我々がイジメられている気分だ。
当委員会は出張多め仕事のため、しんどいときは南沢集落の朝日を眺めるに限る。

美しいが綺麗ではない。遊ぶフレデリック(神の男)が見つからないからだ。
その昔、子供は宝であり町の力だった。林業に沸いたあの村、踊ってない夜を知らない。

南沢集落会長の伊藤信義さんは軽やかな手つきで煙草に火をつけた。
「俺は外に出だからな、こごのために頑張ったんだよ。」
活力のまがいもの

上小阿仁村立沖田面小学校南沢分校は1968年の閉校。校舎には閉校記念式典での記念写真が掲載されていた。子どもたちがいないような気がするが…まあいいとしよう。
集落史実冊子「みなみざわ」を開くと通年分校設置は1923年(塚ノ岱48-1)。八木沢分校の1928年や中茂分校の1948年、大錠冬季分校の1951年よりも早かった。

左上が八木沢に向かう道路、右上が285号線パンダラーメン跡地となっている。
左奥に伸びた部分(教室と宿直室と職員室)が解体された部分だ。最盛期(1945~1955)には60名近い児童が通ったという。※現在残るのは正面左の教室1つ半と体育館部分を改築した調理場スペース


館内には見たことのない写真が数多く飾られている。未知の駅なのだろうか。
伊藤さんは軽快に話し出す。「俺ァ元気ムラ活動頑張ったんだよ。集落のみんなと。クルミ採って出荷したりしてたんだ。東成瀬の椿台集落と交流しに行ったこともあったんだ。でもな、これからってとくに村は何も支援してくれなかった。結局な、俺らだけで頑張ってもお金にならねのよ。加工する工場とかな、出荷先とかな、支援する人はいねがっだ。続ねがったんだ。」

灰皿は散り散りになっていた。2020年までに農作業も下火となり、コロナ禍で交流会や集落維持の気概も失われてしまったのだという。
「集落で何かやるってばな、役場の課長とか部長呼んだんだ。あんた方の未来に絶対プラスなるがらって。俺はそうやってきたけど、今の人たちはどうだ?アートやってもいい、イベントやってもいい、でも俺たちの顔見だが?って。やっぱり長が動かないとね、集落は誰も動かないんだから。」

「県の人とか偉い人来ればな、別に若い人じゃなくても婆さんたちは元気なる。とにかく来ねどな、村は変わらねえ。誰にも会わない人が上に上がれるか?俺はそうは思わねえ。」
だから君たちはいつでも遊びに来いよと、少し寂しそうに伊藤さんは微笑んでくれた。
「いつか誰もいなくなってもな、学校あったのわかるよに木ぃ植えたんだ。そこだけおっきく育てばな、校舎がほぐされてもわかると思ったんだ。」
分校出身者へのインタビュー冊子もできました。サイトに載せれない情報が大量に…