雄和町立中ノ沢小学校 (なかのさわ)
About 雄和町立中ノ沢小学校
秋田県秋田市雄和萱ケ沢中ノ沢にある学校跡。1980年に大正寺小学校(2016年閉校/企業用地に)へ統合された。当時使われた体育館が現存するが、その知名度は皆無に等しい。
スポット評価
終末度合 | 20 |
訪問難度 | 19 |
観光要素 | 21 |
化石価値 | 23 |
総合評価 | 83 |
文句なしの高得点である。令和に生き残ったギリギリ大迷宮は退廃の爆心地であろうか。過疎地のサプライズほど嬉しいものはない。もはや山に登らず帰らせもらおう。
雄和町立中の沢小学校のさじなげB級ポイント
当委員会3年ぶり登場の雄和町だが、決してコンテンツ不足ではない。某メディアでは30年で最も人口が減った旧市町村だと晒されていたものの、我々は眉唾物のお宝エリアなのである。
事実秋田空港の敷地内や、隣にある中央公園は戦後の開拓村跡なのだ。化石となった航空自衛隊官舎も解体されてしまったが、まだまだ探索し足りないのが現状となっている。
そんな中2024年初頭、現役のピンク公衆電話を活用して中ノ沢地区集落会長の加藤様に連絡をとり、廃校内部散策の許可をいただいた。気さくなお人柄、心から感謝致します。
ちなみにこの電話は1980年代から公民館に設置されているらしい。物持ちの良さが規格外だ。
若干シンプルな石碑だが「あるだけ嬉しいよな」と加藤氏。凹んだコンクリートを眺めながら、「好きなだけ見て行ってくれ」と補修作業を始めていた。
かつては雄和の行き止まりだった現秋田市最奥の集落、まさかそこに学校が残っていようとは…
(営業は)もうええでしょう
雄和町立中ノ沢小学校は1882年に分校として開校。雄和萱ケ沢の南部に位置し、1902年に現在地に移築された。1961年に独立校となり、1980年に閉校した後校舎は公民館へ作り替えられた。
グラウンドは校舎裏の丘にあるが、既に草で満ち溢れていた。教えてもらわなければ気づかなかった。
1970年代の地図を見るとそれは明らかだ。道路左の赤い屋根の家は個人商店だったらしく、放課後は駄菓子を買った記憶もあるとのこと。
しかしながら、当時の新聞を開いても中ノ沢地区はたいへんな僻地として扱われている。現在の道路でも秋田空港から23km、県境のユアシスからでも13km近くある。是非地図でご確認いただきたい。
しかしながら、そんな山奥に2024年にこの規模の体育館が現存していたとは驚きだ。
令和に入ってからは利用が減り、最近は自治会の倉庫として使っているくらいだという。
保存状態はもちろんだが、なんと校外にはプールまで残っているではないか。
これは住民が土地と設備を寄贈したものだという。実に愛された学校だ。
かつては100世帯近く存在した中の沢地区だが、お世辞にもその数がいた場所とは思えない。現在は地区に17軒(約30名)で、地区運動会も昭和の終わりと共にほとんどやらなくなったという。
加藤さんはその中でも若い60代だが、「いつかテレビにでも出て話題にならないものかね」と嘆いていた。昔の校舎写真を手に入れたので、今度持って行こうと思っている。