東由利町立袖山小学校 (そでやま)
About 東由利町立袖山小学校
秋田県由利本荘市東由利田代滝ノ下にある学校跡地。1981年の閉校後校舎は取り壊され、「由利本荘市役所東由利総合支所 袖山館」が建っているがほぼ使われていない。
スポット評価
終末度合 | 14 |
訪問難度 | 15 |
観光要素 | 13 |
化石価値 | 10 |
総合評価 | 52 |
留まることを知らない東由利町廃校シリーズが新入荷である。例にもれず内部に潜入するため、市の教育委員会を通じて役場の方を現地に招集した。無償の愛に心から感謝しよう。
東由利町立袖山小学校のさじなげB級ポイント
ハイパー丁寧な市のpdfを見ればわかるように、質量は少なくとも資源の豊富なのが東由利のいいところだ。役所庁舎は当委員会の廃校訪問初期の頃からお世話になっており、合併前市町村の行動力の高さをまざまざと見せつけられてきた。
2024年2月下旬の忙しい時期の無礼な問い合わせにも関わらず、今回の訪問前に事前に内部の様子をチェックしてくれたのだという。捨てる校舎あれば拾う神ありとはこのことか。
いけないいけない、また喋りすぎて異性に嫌われるところだった。
東由利町袖山地区は宿と沼と八塩に囲まれた山間の細いエリアで、廃業が決定した黄桜温泉の南西3kmに位置している。いずれも10数世帯が点在しており、2024年夏の豪雨災害では多数の道路が分断されてしまった。
このシーズンは祝沢の集落会長にインタビュー(後日公開)し、2週連続で東由利の内陸部に訪れるというすいちゃんドン引きの訪問プレイをかましていた。
大人だからこそできる時間の使い方で袖山のカギをこじあけた。その瞬間こそ悦に浸るのである。
減りすぎた羸痩の記録
東由利町立袖山小学校は1981年の閉校。宿小学校や沼分校と共に大琴小学校(2002年閉校)に統合された。その後高瀬小が2011年に閉校して東由利小学校が誕生している。約10分の1だ。
役場の公式ページにも廃墟同然の写真が掲載され、残る命はそう長くなさそうだ。
かつてのグラウンドは美しい農村公園となっている(2023年5月撮影)。当然景色は山しか広がらないが、この地を邪魔するものなど誰もいない。というか人がいない。
端には明治時代に自費で袖山分教場を設けた畠山三郎氏をたたえる石碑が残されている。
「中には何もないはずだ」と聞いていたが、当時の校舎から引き継いだであろう歴代校長たちの写真が丁寧に飾られていた。たとえ書籍がなくとも、彼らがその歴史を物語っている。
他は老人クラブの無事故表彰状などがあったものの、いずれも平成初期で時が止まっている。この手の公民館はいつもこうだから胸が苦しくなる。
1970年代には今の公民館の倍近い校舎が見える。残念ながら当時の校舎画像は現状発見できていない。市の図書館であるカダーレも東由利ゾーンはスッカスカなのだ。
中は調理場に広い和室がひとつ、80年代の扇風機がその出番を待ちわびていた。
1969年寄贈の姿見には「袖山婦人学級」とある。その脇には大量に積み重なった某宗教法人の機関紙があったものの、さすがに役場の方に確認はできなかった。
他地区と違い、集落の住民をご紹介いただけなかったことに関係しているのだろうか…
じゃあお前について誰に聞けばいいんだよ。静寂が虚構に消えていくだけじゃないか。
おそらく、もう中に入ることはないだろう。虫まみれの扉が閉まる音を聞き、限りなく小さい再会を心に閉まったのであった。