大森町立白山小学校武道分校 ~水を打つ離れ小島~

大森町立白山小学校武道分校 (はくさん/ぶどう)

About 大森町立白山小学校武道分校

秋田県横手市大森町上溝花館にある学校跡地。1980年に閉校し、木造の校舎は解体されてしまった。現在は同敷地内に地区会館と石碑が建てられている。

スポット評価

終末度合い18
訪問難易度19
観光地要素17
化石的価値19
総合評価73

南北どちらのルートも錆び切っており、目的がなければ死ぬまで訪れないことだろう。そう思う土地にも人々は住み続け、命を紡いでいる事実を感じられる。

さじなげB級ポイント

サイト二度目の登場となる大森町だが、歴史的景観と小坂に並ぶ退廃の風力は委員たちを愛してやまない。かつてがあったことを忘却の彼方にある。

今回は南外から羽後五輪坂を繋ぐ出羽グリーンロードの道中、横荘線二井山駅跡地(下画像)が旅路の始まりである。

清流と暗い4kmほどの雑木林を抜けると約3戸の水沢集落+駐車場に出る。南側には廃村新宮があるのだが、実際は丘の上にあり道路は繋がっていない。

そこから道なりに北上するとほどなく武道集落(上画像)が見えてくる。大森町最奥集落のひとつで、十数戸が暮らしている。

そんな集落北部に残るモダンな建物が大森町立白山小学校武道分校の敷地、現地区会館である。(※白山小も2009年に廃校。校舎がそのまま残る)

かつて合併前の行政区分では道中の雄物川町ではなく、大森町の離れのような扱いになっていた。1987年に八沢木広域農道(大森上溝と高村に繋がる)が開通するまでは、今回辿ったルートしかない実質的行き止まり集落だった。

そのため、かつては役場ひとつにも山を越えて10km以上の未舗装道を辿る必要があったという。廃村になってもおかしくない悪路が想像できる。

建物手前には石碑が残っており、下記の通り記されていた。

時移りて 近年児童数の漸減によって 本校統合となり
われらは故郷の山川と 蛍雪の幾星霜(※)を称えてこの地に
記念碑を建て 永遠の灯し火として母校の名を留める 
昭和35年8月20日 同窓生一同

※いくせいそう-苦労を経た長い年月のこと


開校は1904年(民家を間借りした教育場)で、76年の歴史があったことを証明している。不便は多かったかもしれないが、ここで奮起した人々がいたことを感じられる貴重な遺構である。まだまだ知らないことがたくさんありそうだ。