男鹿市立男鹿中中学校 (おがなか)

About 男鹿市立男鹿中中学校
秋田県男鹿市男鹿中山町小室沢にある学校跡地。2001年の男鹿南中統合後に校舎が解体されたが、当時の体育館がそのまま屋内グラウンド場として再利用されている。
スポット評価
終末度合 | 20 |
訪問難度 | 19 |
観光要素 | 13 |
化石価値 | 23 |
総合評価 | 75 |
見た目通り入りづらいが、閉校後更に入りにくくなった不遇の学び舎である。部外者の一般人はとても歩みを進められない状態になっている。
男鹿市立男鹿中中学校のさじなげB級ポイント
趣味の繋がりは一生モノだ。特に大人になってから出会いを選択し、心通った存在との友情はかけがえのないものがある。高校の頃に捨てられたラブレターとはワケが違う。
男鹿市は2025年度より4つの保育園が1つに統合される。更に今後中学校は船越エリアに集約が予定されており、海洋生がますますチャラついてしまう。怖い出会いが増える地区となりそうだ。

そんなフナコシより数倍気味悪い通学路がある。北浦に向かえる県道101号線の男鹿コミセン(向かいは男鹿中小跡地)を過ぎ、坂道を登ると右手に人工物が見えてくる。
岩が真実を伝えている。かつてのグラウンドに立ち並ぶ兵馬俑、並々ならぬ重みを受け止め、卒業生たちの気持ちを噛みしめなければ廃校探訪はままならない。

おわかりいただけるだろうか。避難場所なのに避難することができない。
やはりAI時代の勝者は情報思念体たちなのだ。我々人間は減り続ける現実を認識し、心通った存在への感謝を日々伝えること。日常に疑問を抱き、奥に待つ課題へ歩みを続けるべし。
とまらない深度求索


男鹿市立男鹿中中学校は2001年の閉校。1947年の開校で、体育館だけは1957年代に建てられた当時のものが現在も利用され続けている。
1970年代の航空地図には校舎全体が確認できる。しかし校舎敷地も今では太陽光吸収設備だ。

「でも手前に公民館あるから体育館残さなくていいのに…」というロボット的思考が浮かんだ皆さんは懸命だ。これには大きな理由があるのだ。
敷地内には今でも多くの石碑が残されている。それは全国大会や全県大会で輝かしい成績(全県制覇・全国ベスト8など)を刻んだスポーツ戦士たちの歴史。男鹿中は運動に優れていたのである。


それも複数だ。ほかの廃校ではそうそう見られない石碑の数々。これらは校舎の玄関手前らしき位置に建てられており、歴代のOBOGたちが誇りをもって卒業していったことを示している。
もうおわかりだろう。男鹿中中体育館は、今でも毎週のようにスポーツ利用があるのだ。

もちろん許可を得て内部を撮影させていただいた。公民館スタッフによると、「閉校後も利用を続けたい」と地域住民からの請願が市にあがったのだという。
その熱意は今も続き、屋内グラウンドに改装してからは長年運動場として地域住民が使い続けているとのこと。部外者が利用予約できないあたり、愛され度がひしひしと伝わる。

男鹿中公民館に戻ると、スタッフさんが地域の方から集めた写真や資料を色々見せてくれた。
「今集めないとね、ずっと見れなくなる気がしたの!ようやく使える日が来たわ!」と個人的に集めたことを聞いて二度驚く我々。上が旧校舎時代の航空写真(奥が北浦方面)だ。

色あせも含め芸術的な一枚だ。しかし残念なことに、男鹿中小と男鹿中中の閉校記念誌は市の図書館で保管されていない。公民館で写真を含めてはじめて閲覧することができた。
このほかにも50枚以上に及ぶ昭和の男鹿写真が多数保管されており、残る建物含めイベントなどで一切取り上げられたことがないという。

無残に散り去った校舎たち、役不足だが数ミリでも当委員会で供養できるなら幸いだ。
体育館はもう少し存命かもしれないが、見れる機会は著しく少ない。地元住民のパワーで活用が続く素晴らしさ、ここを見た皆さんだけでも心に留めておいていただきたい。
分校出身者へのインタビュー冊子もできました。サイトに載せれない情報が大量に…