秋田鉄道学園 (秋田市下浜)

About 秋田鉄道学園
秋田県秋田市下浜羽川下野にある旧国鉄職員養成施設。建物はなく、実習用のレールに沿った電柱だけが確認できる状態となっている。
スポット評価
終末度合 | 20 |
訪問難度 | 14 |
観光要素 | 16 |
化石価値 | 20 |
総合評価 | 70 |
秋田市内でも相当ぞんざいな扱いを受けるガン無視史跡である。修行を重ねれども、観光弱者たちはかつて活力を魅せたエリアを優遇することは二度とないだろう。
秋田鉄道学園のさじなげB級ポイント
秋田市下浜は残念ながら苦手な場所だ。高校の文化祭後、打ち上げで知人の親が経営する海の家に行ったことがある。恥ずかしながら当職はそのような輝きに面したことがなく、子供はコウノトリが運んでくると思っていたため振る舞いの正解がわからずにいた。
“撮影係”なるカス役割とはいえ、もはや嫌われも止む無しも姿勢でデジカメを振り回していた。さじなげ委員会設立のきっかけともいえるキモジャーナリズムの誕生である。

いつの間にか失われた下浜歯科医院から海が見える。2012年頃まで現存した「歓迎 下浜海水浴場」の文字は時にさらわれてしまった。
全盛期は夏だけで20万人が降り立った下浜駅前だが、ここ数年は毎年のように海の家解体が進んでいる。青春で眺めたファインダーとは随分違う景色になってしまった。

駅は1920年に開業し、昭和期には道川駅と並んでステーション食堂もあったという。
日本第一号の飛砂防止林があることもすっかり忘れられてしまった。覚えているのは線香花火の奥に見たあの娘の胸元だけだ。もちろん別便で彼氏と帰られたことも忘れてはいない。
悲しみは行先不明

秋田鉄道学園(実習所跡)は1965年に教習所から学園へと統合されたもので、全国27か所にあった技能者養成所のひとつ。1985年に秋田駅構内から現在地に移転跡放置されたもの。
正式な数字が出てこないが、秋田には1950年代から教習所があったものと推察される。

1970年代の地図を見ると、現存しない関連施設らしき建物も確認できる。いまの下浜郵便局から海岸に向かう道中にあるはずだが、いまは荒地となってしまった。
左に見える直線が鉄道跡で、長年の風雨により砂やストレスが堆積してしまった。

海岸から見るとご覧の有様だ。遥か左奥に見える2本の棒が電柱なのだが、登るまでには5回ほど靴を砂まみれにする必要がある。それでも好き。
2023年の秋田市発表でもここは鉄道学園跡地と認知されており、住宅地転用しないという計画がなされた。ようやく市も遺跡として保存しようという姿勢なのだろうか。

国道7号線からは前述した防止林の影響で、その価値を享受することができない。
砂浜の奥までたどり着いた者だけが下浜民になれる。そんな寂しいスポットなのだ。

15年以上前にも、この場所にいたはずなのに…。スイカ割りを撮影したはずなのに…。
人間はときに無力である。あの夜一人で弄ぼうとしたが、悲しみが募って萎えたことに泣き崩れた男がいたように。破廉恥学園を知ったのは、それから数年後のことだった。
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