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羽後町立田代中学校 ~忘却の激ピュア遺留品~

羽後町立田代中学校 サムネイル

羽後町立田代中学校 (たしろ)

About 羽後町立田代中学校

秋田県雄勝郡羽後町八幡にある学校跡地。1992年に仙道中学校軽井沢中学校とともに高瀬中学校に統合された。校舎は1993年度末までに解体され、自治会館と石碑が残されている。

スポット評価

終末度合17
訪問難度17
観光要素17
化石価値14
総合評価65

AIに象られた2026年においても、田代中の場所はインターネット上で明らかになっていなかった。幾度となく震えてきたが、秋田再発見を叫ぶすべての代理店に睨みを効かさなければならない。

羽後町立田代中学校のさじなげB級ポイント

人間は感情を忘れない。上仙道小学校で役場職員が語った町の思い出も、飯沢地区での心の悲しみも忘れることはないのだ。かつて羽後町でバイトした受けたパワハラだってそうだ。

誰よりも町への愛情を注ぐことを怠らないことで、本当に困ったときは誰かが助けてくれる。そんな幻想を抱きながら、我々は色恋沙汰とは無縁のチェーンエロ自販機ユーザーとなってしまった。

田代郵便局と旧長谷山邸格山と田代公民館にも囲まれ、羽後町内陸部の中でもほんの少しだけ希望を感じられるエリアだ。渋すぎる菅原酒店の外観も目に焼き付けておきたい。

かつてはここにタクシー乗り場や食堂川反もあったそうだが、さすがに活気までは感じられない。

そしてその未来は暗い。秋田に生まれ育った当職がいくらアンテナを伸ばしても、羽後町田代地区の存在すら取り上げられているのを見たことがない。ましてや観光などもってのほかだ。

ただそんな地に豪雨でも足を運ぶのが我々さじなげ委員会だ。心の拠り所がそこにある限り。

廃校時代の降伏

羽後町立田代中学校1947年の開校で、1958年には「田代小学校と校舎交換、現校舎に移転」とある。おそらく2000年ころまで現存した田代小の初代校舎が田代中初代校舎、ということだろう。どおりで立派だったわけだ。(町の資料館に写真が残っているが掲載不可)。

1992年の閉校までに2,478名の卒業生を送り出し、閉校時は全校生徒31名だったと記されている。

1970年代の地図で比較したい。1枚目は田代中学校の二代目校舎、2枚目が田代明通(高瀬中近く)にあった田代小学校の初代校舎(初代田代中校舎)と思われる建物だ。

現在の田代中跡地にある自治会館が一応校舎跡にあり、石碑が生徒正面入口らしき場所に位置していることがわかる。

以前は「田代中学校前」というバス停があったため学校跡地と認識できたらしいが、今では旧道となったことでほとんど通る人もいなくなったという。

かくいう当委員会もパワハラ仕事がなければここを通ろうと考えもしなかった。怪我の功名とはこのことである。

はたして閉校後、いったい何人がここからの景色を眺めたことだろう。石碑は磨かれていたので卒業者か地域住民が手入れしているのだろうが、町のホームページはもちろんgoogleマップにも全く搭載されていない。きっと町の賢者が我々を導いてくれたのだろう。

しいて言えば、廃校案内時に役場関係者が紹介してくれなかったので割と真剣に忘れられている可能性もある。この機会に思い出していただくか、知っていただければ何よりだ。

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